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第一部 出版の塔

国境を越える宮沢賢治

~始まり~

1933年9月、宮沢賢治は未発表の詩や童話を多く残して亡くなった。生前出版されたのは『春と修羅』と『注文の多い料理店』だけであったが、没後4か月で草野心平が『宮澤賢治追悼』を上梓すると注目され、遺作の刊行が始まった。

早くも1935年には、対外宣伝誌『Nippon』5号に「やまなし」の仏訳が掲載された(No.267は復刻)。その後1941年に北京で「雨ニモマケズ」が、1942年に新京で「風の又三郎」が、1961年に韓国で「セロ弾きのゴーシュ」と「注文の多い料理店」が翻訳された。英語圏では、1957年に出版された日本詩人のアンソロジー(No.268)に「札幌市」を含む4編の詩が収められ、1960年から1970年代にかけて詩や童話が次々と翻訳されていく。

しかし、賢治の作品が海外で広く読まれるようになるのは1980年代以降である。日本に留学して文学を学んだ各国の研究者たちが賢治の作品を自国で紹介し始め、多くの地域で人気と評価が高まった。

~変化~

宮沢賢治はタゴールの詩やベートーベンの音楽を愛し、ドイツ語やエスペラント語を学ぶなど世界にまなざしを向けていた作家であった。作品は故郷岩手の自然に着想を得て書かれたものが多いが、作中に海外の事物をちりばめることで、独自のファンタジー世界を創造した。しかし翻訳にあたっては、異国的な表現が除かれ、日本らしさが加味されることがある。

例えば『銀河鉄道の夜』で主要な役割を担うのはジョバンニとカンパネルラという二人の少年であるが、英語版“Milky way railroad”(No.283)では、彼らの名前がKenjiとMinoruに変わった。序文で訳者は、日本を舞台にした物語の登場人物が、イタリア風の名前であると読者が混乱するため変更したと説明する。また、希望出版社から出された中国版(No.285)では、ジョバンニの家の内部に和室が描かれた。母は着物姿で布団に臥し、その後には掛け軸が見える。しかし、アスパラガスやケール、トマトやパンが登場するこの家の場面を読んで、日本の絵本画家の多くが想起するのは、西欧あるいは西欧化された日本の風景である。日本人による挿絵や絵本では、ジョバンニはテーブルで食事をとり、母はベッドに寝ている(No.281No.282)。

日本化だけではなく、国境を越えるための変化は他にもみつかる。賢治作品の魅力のひとつは響きの愉しいオノマトペであるが、擬声語の少ない英語や中国語に訳される際には、省略されたり、説明的な文章に置き換えられたりすることがある。

※著作権の関係上、本電子展示会に写真を掲載していない資料もあります。

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