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国際子ども図書館主催の展示会のお知らせです。

国際子ども図書館全面開館記念シンポジウムを開催致しました。

2002.07.08

国際子ども図書館全面開館記念シンポジウム「昔話から物語へ」

神宮輝夫氏(青山学院大学名誉教授)

神宮輝夫氏(青山学院大学名誉教授)

英米児童文学の研究者。評論・創作・翻訳など多様な分野で活躍中。

「昔話から創作へ‐二十世紀後半の日本を中心に」 

神宮輝夫氏は、イギリスを中心にファンタジーの草創期に触れ、同様の傾向が、戦後の日本の児童文学にも見られることを、具体的な作品を通して指摘された。

児童文学の自然発生的な歴史が端的にわかるイギリスでは、18世紀初頭の啓蒙主義の時代に誕生した児童文学は、「教訓話」から始まる。子どもを良い人間に育てることを目指し、イマジネーションを極端に排斥している。しかし日常の子どもを丹念に描いていくなかで、夢、憧れ、開放感などどうしても表現できない部分が出てくるとともに、当時のロマンチシズム芸術運動の影響も加わり、ファンタジーが生まれる。『水の子』(The water-babies,1863)や『北風のうしろの国』(At the back of the North Wind,1871)など初期の作品は、子どもたちに当時の深刻な社会問題であった貧困を伝えようと、リアルな小説では書ききれない部分をファンタジーとして創り出している。従って、ファンタジーは、リアリズムを基礎にしなければ、生まれてこなかったといえよう。

次いで、速い遅いの違いはあっても、文化の動きは同じようなプロセスをたどるのではないかと考え、日本の終戦後に話を転じる。日本にはそれまで長編小説はなく、当時の作家たちは、目の前の貧困や戦争の悲劇に苦しむ子どもたちに、勇気や励ましを与えるようなリアリステックな長編小説を書こうと、生みの苦しみを重ねていた。先駆的な作品としては、山中恒の『赤毛のポチ』(1960)があり、同様の作品がその前後に続々と刊行された。

1959年に佐藤さとるが『だれも知らない小さな国』を書き、戦争が終わって日本人はどのように生きていったらいいかという問題を、ファンタジーの形で取り上げている。リアルな形で書くより、はるかに効果的だったのではないか。だからこそ今も古びずに読まれている。英米のファンタジーの真似ではなく、子どもたちに必要なリアルな作品のそれまでの蓄積や、精神的な土壌のなかからしか生まれてこなかった作品だと思う。1960年には、同様にオリジナリティのある作品として、松谷みよ子の『竜の子太郎』が出ている。

それ以後海外のファンタジーを参考にしながら、日本の作品を書こうと多くの作家が努力をした。日本のファンタジーの年表を見て、1985年の『魔女の宅急便』と1988年の『空色勾玉』の間に線を引いて考えると面白いと思う。1985年まで作品が次々と生まれ、出版当時は話題になったが、現在も研究されたり読まれたりしているだろうか。線を引いた『空色勾玉』以降、80年代後半から物語性の強い作品が出てくる。『ふるさとは、夏』(1990)や『クヌギ林のザワザワ荘』(1990)などには、洗いざらしたTシャツを着るようなアットホームな感じや安心できる日本的な世界がある。また、たつみや章や上橋菜穂子は口承文学を素材にスケールの大きな物語を作っている。日本人が身近な素材を使って大きなファンタジーを描き、子どもを惹きつけるようになったのは、80年代の終わりからだと思う。

30年間平和が続くと一文化が完成すると聞いたことがある。日本のファンタジーも1945年から現在までの間に、ある意味で成熟期に達したといえる。小説はパーソナルなものであるが、物語は昔話のように蓄積された人類の知恵が生み出していくものであり、日本のファンタジー文学は口承文芸の特色を生かしながら、ようやく豊かな時代を迎えたと思う。

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