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国際子ども図書館主催の展示会のお知らせです。

国際子ども図書館開館記念国際シンポジウム 抄録

松岡享子

松岡享子

本の子どもの本や読書のこの50年は良い方向への大きな発展があったといえます。例えば児童書の出版は50年前と今とを比べると、比較にならないほど豊かになりました。出版件数が増え、扱う主題も広まり、対象の年齢にも幅ができて、内容も豊かになってきましたし、印刷や製本もずいぶんよくなりました。そして世界的に見ても日本の児童書の出版は恐らく最も高い水準をいくものでしょうし、今お話しになられたアジアの国々の状況に比べると格段にすばらしい状況が作り出されていると思います。そして、図書館や学校図書館の発展、公共図書館の普及の50年間の変化は実に目覚しいものでした。その中で、開館式典の皇后陛下のお言葉にもあったように、戦後の子どもの世界を支えてきた子ども文庫活動という、日本に実にユニークな活動がありました。それが70年代に大きく広がり、図書館の数が増えた今でもいろいろな形で活動を広げています。また親達も読書を薦めることに積極的です。今の子ども達はテレビを見ないで本を読めば、親はとても喜ぶでしょう。またいろいろな人が、子どもが読書から離れているということを心配しています。そして国が子ども読書年を定めたことや、国際子ども図書館を設立することを決めたということも、子どもが本を読まなくなることへの懸念や、もっと本を読んでほしいという願いや期待を国も政策として持つようになったということを示しているのです。しかし、このように外的な条件がよく整ってきた一方で、肝心の子ども達がよい読者として育っているか、あるいはそのための環境が整っているかどうかということを考えると、そこには大変大きな問題があると言わざるを得ません。この50年間に私達の生活は非常に大きく変化しました。まず、子どもの数が減り、核家族化しているということ、あるいは産業構造が変わり、第一次産業の人口が劇的に減って、第2次、3次産業への変換が行われているということ、生活の隅々まで機械化が進んで生活のスピードが昔とは比べ物にならないほど速くなり、皆がとても忙しいと言うようになったこと、そして、自然の環境が失われて代わりにテレビやその他の人工的な娯楽や情報の手段が隅々まで浸透してきたことといった、大きな変化が私たちの生活に起こって、それが子ども達の生活や心の有り様や、子ども達の物事に対する態度などにとても大きな影響を与えていると思います。これらの大きな社会の変化は子ども達がよい読者に育っていくための条件をむしろ奪ってきているのではないかという気がします。時間が無くなってきて、静けさがなくなり、それから子ども達が、あまりにもたくさんのものに取り囲まれていて、そのために自分から外にむかって働きかけようという意欲を失わされていることなどが一般的に見られるようになりました。

ヤーグシュさんの話の中に、"reading state"という言葉が出てきましたが、読書をするのにふさわしい状態、つまり子ども達がよい読者に育っていくのによい環境を提供することが今の社会には非常に難しくなってきているという事実があります。新しいメディアの問題が急にクローズアップされ、コンピュータゲームなどの世界に商業主義が入り込んできているという状況があります。だから日本のこの50年を大雑把につかんでみると、子ども達が読書するための状況がよく整ってきたけれども、子ども達のよい読者に育っていくための内的な条件がとても難しくなってきたと言えます。そして何年もの間一生懸命文庫を運営してきた人、いろいろな困難な状況の中で児童奉仕をしてきた図書館員達が、ここへ来て戸惑いを感じているのではないかと思います。終戦直後の、未来はよくなるであろうという希望を抱いて元気に働いていた頃に比べて、今は皆が少し立ち止まってお互いに顔を見合わせて、どうしたものかと悩んでいるような状況なのではないでしょうか。このような時期に国立の子ども図書館ができることになりました。これから社会も変化していき、子ども達もある意味では変化し、ニューメディアによる情報革命がどんどん進行する中で、子どもの読書をどのように考えていったらいいのかという時に、非常に大きな局面に、今私達が立たされているように思います。

亀田さんより出された課題は「子どもにとっての読書の意味をあなたはどう考えるか」でした。1965年に出版された『子どもの図書館』という本の中で、石井桃子さんは「これからの子どもは今までの子どもに比べて本を読まなくてよいのか、読まなければならないのかという点では、私は読まなければいけないという立場をとります」とおっしゃっています。私も今のような現状でなおかつ子どもが本を読まなくてはいけないのかと問われると、やはり、本を読んだほうがよいと答えたいと思います。石井さんは続けて、「子どもの読書の意味といいますか、子どもが本の世界に入って得る利益は大きく分けて二つあります。一つはそこから得たものの考え方によって、将来複雑な社会でりっぱに生きていけるようになること、もう一つは育っていくそれぞれの段階で心の中で楽しい世界を経験して大きくなっていくことだ」とおっしゃっています。このことは今も、これからの子ども達についてもおそらく当てはまることではないでしょうか。私は加えて、読書の意味というものをイメージを作ることから考えたいと思っています。文化人類学者、藤岡嘉愛が「人間はイメージタンクである」と言っています。人を動かしているもの、人となりを作っているもの、それはその人の中にあるイメージだと言っています。肉体が食べ物によって日々養われなければならないように、私たちのイメージも何かによって養われなければなりません。それはありとあらゆる経験が子どもたちの中に入ってくる時に、それなりのイメージを作ることに関わっていくことになるわけですが、私はいろいろなイメージの源として本の中に一番良質なイメージの源があると思います。そのためにこそ子ども達に本を読んでもらいたいと思っています。それからもう一つ、本を読むという行為そのものが持っている意味について話します。先週の朝日新聞にレジス・ドブレ(Regis Debray)というフランスの哲学者の話が載っていて次のようなことが書いてありました。「情報革命によって、いくら地球が狭くなってもドン・キホーテを読むのに必要な時間は昔も今も変わらない。空間はちぢんでいくのに一日の時間は変わらない。そのために人間が思索したり、記憶を確かめたりする余裕を失ってしまう。それが人類の危機になってしまうのではないか」と。読むということはある時間を精神活動のために取りのけること、あるいは自分の生活の中のある部分を思索したり、何かを記憶に刻み付けたりすることのために使うということなのではないかと思います。"reading state"は、読書をすることによって、逆に読書をするために必要な状況を内的に作り出すということではないでしょうか。内的な世界を持ったり、精神的に深く物事を考えたり、感じたりするというようなことをするのに必要なメンタリティが、読書という行為そのものによって養われる部分があるのではないでしょうか。だから、これからどんどん忙しくなって、横の距離が狭まって、世界の隅々で起こっていることが判るというような横糸は放っておいてもどんどん進んでいきますが、ではその報道されたいろいろなでき事の背後に何があるのかということを知るための縦糸を強くするようなものは、やはり読書によってしか養われないのではないかと考えます。その意味で物事を考えたり、感じたり、背後にあることを思い巡らしたりするような、メンタリティを作り出すことに、読書という営みそのものの力があると思い、そのことのために読書が大切だと考えています。そしてよい読者を育てることが難しくなっている時代にあって、国際子ども図書館ができるということ、そして世界の各国で同じような目的のために同じような困難に立ち向かいながら働いていらっしゃる方たちと、こういう共有の場を持てた事を大変嬉しく思っています。