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初山滋
はつやま・しげる
1897 - 1973

1897(明治30)年 東京・浅草田原町に生まれる。
1906(明治39)年 谷中の狩野派の画家、荒木探令について、3ヶ月間、大和絵を学ぶ。
1907(明治40)年 神田今川橋の模様工房で、着物の柄を描く。尾形光琳を学ぶ。
1911(明治44)年 日本画家で、美人画の井川洗崖の弟子になる。
1915(大正 4)年 (本画家)をやめる。
1919(大正 8)年 4月『おとぎの世界』(文光堂)創刊、初山滋はその表紙を、終刊(1923年10月)まで描いている。
 その頃、日本には、印象派、立体派、未来派、アール・ヌーボー、アール・デコなど、西洋画の芸術主義が矢つぎ早に入ってきた。また、アーサー・ラッカムやオーブリー・ビアズリーなどが、画家達を興奮させた。
 そんななか、初山滋は生まれ育った土地柄と、少年時代に奉公に出て着物の染の絵柄を描いた経験から、二次元で表現する平面的絵画を体で受け止め、西欧と打ちとけながら描くことができたと思われる。
 その作品には、西欧的写実の表現に用いられる陰の諧調はない。線だけで描くか、線で分けられた面を、一色で平坦に塗る手法がほとんどである。線と色面を駆使し、その中に日本画の手法である「ぼかし」や「にじみ」を入れ込んで、あくまでも日本のモダンな、活き活きとした絵をつくりあげている。しかも、グラフィック・アート的な、平面処理の達人だっただけでなく、その場の空気や、臭いや、音までも感じさせる達人だったのである。
 初山滋は子供の本の中に、大正リベラリズムと雁行した童心主義的な動きと、西欧モダニズムの明朗さを表現した。

 「くりやき」の画面構成は、四辺形のいろりや、右端や下におかれた美しい帯画などを、平面的な、均整のとれたグラフィック・アートに仕上げている。
 「ドロップ」での線描の工夫は、アール・デコの絵に見られるような、人・物・風景を、太い線と細い線を対比させながら、その画面の動きと、ボリュームを表現する手法を用いている。
 「象と子供」西欧に端を発したキュビズムや構成主義に倣った。仕上げは日本の染色と浮世絵で、東西の画法を事もなく融合させている。
 「ブランコ」や童謡にそえられた絵における、空間の「物」の配置は自由であり、文字も加わって、ひらひらと線や面はただよい、空気の流れを描く。


参考文献
別冊太陽『初山 滋』(洋風童画から浮世絵の現代化へ) 岡田 隆彦 平凡社
 

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