トップページ
北原白秋
きたはら・はくしゅう
1885 - 1942

1885(明治18)年 福岡県山門郡(現・柳川市)の豪商の家に生まれる。
1904(明治37)年 早稲田大学英文科予科入学、若山牧水らを知る。ほどなく退学。
1906(明治39)年 新詩社に参加。
1908(明治41)年 パンの会に参加。
1909(明治42)年 詩集『邪宗門』刊行。
1910(明治43)年 詩集『思ひ出』刊行。
1913(大正 2)年 歌集『桐の花』刊行。
1918(大正 7)年 7月、『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉より参加を求められ、童謡の創作と応募作品の選考、それに地方童謡の収集を依頼される。
1919(大正 8)年 『赤い鳥』に掲載したうたをもとに、童謡集『とんぼの眼玉』を刊行。
1921(大正10)年 英国童謡集『まざあ・ぐうす』刊行。童謡集『兎の電報』刊行。
1922(大正11)年 『コドモノクニ』4月号より、白秋選による童謡の募集が始まる。初めは選者は明かされず、10月号より白秋による童謡選評がのった。童謡集「祭の笛」刊行。
1925(大正14)年 童謡集『子供の村』刊行。
1926(大正15)年 『コドモノクニ』9月号から大人の童謡を募集、白秋が選者となる。1931年10月号まで59回続いたあと中断、32年6月号で大人の童謡、童話の募集を休止、33年7月号より西条八十とともに再開する。
1929(昭和 4)年 童謡論集『緑の触覚』刊行。
1942(昭和17)年 病没。
1976(昭和51)年 <日本伝承童謡集成>全6巻刊行、伝承童謡収集の完成をみる。
 『赤い鳥』創刊当時、白秋が考える童謡は、「日本の風土、伝統、童心」に根ざした「童心童語の歌謡」にあった。それを念頭に、創刊から1933年4月までの15年間、童謡を作り、各地の童謡愛好家を育てながら、毎号地方童謡を紹介した。
 『コドモノクニ』で白秋は、まず1922年2月号から4月号にかけ、マザー・グース4篇を入れた。すでに『まざあ・ぐうす』に収めてあったが、創刊まもない絵雑誌に寄せるにあたり、幼い読者に向けて英語圏の遊戯唄を選んだのである。挿絵は、いずれも武井武雄で、奇抜な画面構成は外国趣味をたたえる。5月号から創作童謡を発表、25年6月号「びつくり鶏」は、わらべうたに沿った律動的な童謡で、5, 5, 4, 4, 5の音を重ねた5連から成る。
 1927年に入ると「起重機」「ヴイ」「てっきんコンクリート」「月夜の飛行船」のように、近代的な機材をテーマにする。3月号の「ヴイ」は、冬の暮方の港に浮き沈みする赤色のヴイに着目、武井武雄の寒空を映す波の色とともに心に残る。5月号「てつきんコンクリート」は、「ぴいちく ぴいちく ひばりの子」を各連の最後にくり返し、かえってビルの工事現場周辺ののどかな風景を際立たせる。
 1928年7月号「のびあがる」は、自由詩のおもむきがうかがえ、同じ号の「ふきあげる」とともに、タイトルに動詞を使う試みが新しい。
 1932年末までに79篇を寄せる。
 白秋が作った童謡は、全部で1200篇に達するといわれ、今日、歌われている童謡のうち、『コドモノクニ』に載ったのは「たあんき、ぽうんき」と「アメフリ」「秋の野」「さより」の4曲である。
 かたや1923年12月創刊の『コドモアサヒ』には、32年末までに16篇の童謡を寄せ、うち2篇が曲譜がついた。


参考文献
『日本児童文学大事典』 大阪府立国際児童文学館編 大日本図書 1993年
『日本童謡史 I』 藤田 圭雄著 あかね書房 1971年
『日本童謡史 ・』 藤田 圭雄著 あかね書房 1984年
『白秋全集』第25巻
絵雑誌『コドモアサヒ』解題と総目次 石沢小枝子・畠山兆子編
  梅花女子大学文学部紀要(児童文学篇)22 1987年
『文芸としての童謡』 畑中圭一著 世界思想社 1997年
『白秋愛唱歌集』 藤田圭雄編 岩波文庫 1995年
 

もどる