| 1895(明治28)年 |
福岡県久留米市の寺に生まれる。 |
| 1912(明治45)年 |
画家を志し、上京して太平洋画会研究所に入る。 |
| 1913(大正 2)年 |
日本水彩画研究所に入所、石井柏亭に師事、その間、太平洋画会展と水彩画展に入選する。 |
| 1915(大正 4)年 |
一旦帰省して僧籍に入る。そのころのスケッチブックや絵はがきは、竹久夢二の影響がみられる。 |
| 1919(大正 8)年 |
夢二が開いた「女と子どもによする展覧会」を見て感激する。 |
| 1920(大正 9)年 |
このころよりセザンヌやルネサンスの壁画を模写して宗教的な色彩を学ぶ。 |
| 1922(大正11)年 |
「埋葬」で二科賞を受賞。このころよりピカソやローランサンが描く抽象表現がみられる。10月、神原泰、中川紀元ら十数名と、前衛美術団体「アクション」を結成、キュビズム的手法で、アクション展に二回出品。解散後は、パウロ・クレーの影響を受けた作品を描く。 |
| 1927(昭和 2)年 |
この年から1930年にかけて、ポスターや装幀の仕事を引き受け、商業美術に関心を寄せる。都市化や機械化を見据えて、科学雑誌に目を通し、フェルナン・レジェの機械をモチーフにした模写も試みる。 |
| 1931(昭和 6)年 |
『コドモノクニ』12月号から翌年6月号にかけて掲載。 |
| 1933(昭和 8)年 |
38歳で病没。 |
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