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松山文雄
まつやま・ふみお
1902 - 1982
 

1902(明治35)年 長野県に生まれる。
1924(大正13)年 画家を志して上京、当時はプロレタリア美術運動が盛んだった。
1926(大正15)年 前衛美術の影響を受けた松山は、村山知義、柳瀬正夢らと、日本漫画連盟に参加する。松山にとって、真の芸術運動は漫画であった。『コドモノクニ』の3月号から絵を描くようになる。
1930(昭和 5)年 3月号から『コドモノクニ』の代表的なアーティストや作家の肖像画を連載。それぞれの個性を見事に表現した絵には、漫画を描く松山の面目躍如たるものがある。
 大正デモクラシーといわれる時期は、思想と芸術が密接に関係しあっていたといってよいであろう。第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまにあって揺れる社会を反映して、1920年代から30年代にかけて、世界的に「モダニズム」芸術の活動が展開された。
 松山の絵には、都会や農村で生活する子どもの生命力が強く表現され、岡本帰一や武井武雄、初山滋らとはまた異なった子どもの姿が見られる。松山が加わったことによって、『コドモノクニ』に奥行きが増したといってもよかろう。大地に根を張って生きようとする力をもった子どもを描こうとする、松山の姿勢が感じとれる。
 川を浚渫する船の動きを見逃すまいと見つめる子どもたちの姿からは、子どもたちの賑やかな話し声ばかりか、子どものひとりひとりの生活も伝わってくるようである。子どもたちは、自分の関係のない珍しい浚渫船を遠いところから見物にきたのではない。船は、自分たちが暮らしているところに流れている川をさらっているのである。船で働いているのは、ひょっとすると、子どもたちのうちの、誰かの父親であるかも知れない。そのような現実感がこの絵にはある。


参考文献
『プロレタリア美術史』 岡本唐貴・松山文雄著 造形社 1967年
『日本児童文学大事典』大阪府立国際児童文学館編 大日本図書 1993年
『児童出版美術の散歩道』 上笙一郎 理論社 1980年
 

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