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1884 - 1934 (たけひさ・ゆめじ)

1884(明治17)年 岡山県邑久郡に生まれる。
1905(明治38)年 早稲田実業学校専攻科在学中に、雑誌に短いおはなしやコマ絵を投稿したことが認められて寄稿家となる。同校はのちに中退。
1916(大正 5)年 婦人之友社の雑誌『新少女』の絵画主任になる。このころから、モダニズムの傾向が一層強まり、1910年代に花開いた大正ロマン主義を牽引する一人になった。
1931(昭和 6)年 念願の外遊を果すが、トラブルと資金難で帰国。
1934(昭和 9)年 病気のため、50歳に半月満たない生涯を終える。

 竹久は初め、詩人になりたいと願っただけに、詩や小説を書き、俳句や短歌を詠み、小唄を収集するなど、終生、文芸に関心を寄せた。
 個人展覧会を除き出品歴はなく、コマ絵や挿絵、装幀、版画、図案など、印刷を媒体にして大衆の支持を得る。その自信から、オリジナルデザインの小間物を扱う「港屋」を開店したり、若い仲間らと「どんたく図案社」を計画するなどしたが、いずれの企画も短命に終わる。
 1920年代より興った新しい美術運動の流れにも柔軟に対応して、未来派やキュビズム的表現をとりいれた。その抒情的な画風には、日本の浮世絵の伝統とヨーロッパのモダニズムがみられ、アカデミズムの対極にあって情感を表現することを得意とした。
 子ども向けには『小供の国』『京人形』『青い船』『凧』『春』などを出し、自作のおはなしや詩に加えて翻案を試みたり、わらべうたを収集して『ねむの木』『あやとりかけとり』にまとめた。いずれも自著自幀の美しい本で、子ども向け雑誌への寄稿は数知れない。
 その中で『コドモノクニ』に参加したのは、最初の2年間だけである。すでに1910年より東京社が出していた『婦人画報』や『少女画報』にかかわっており、『コドモノクニ』の初代編集者になった和田古江と面識があったことから寄稿したのであろう。
 後発の『子供パツク』にも参加した。あどけない子どもの表情とやさしい色合い、それに余白を残した構図から、当時の風俗流行のファッション、あるいはヨーロッパ美術の伝承、日本の伝統などを多彩に読み取ることができる。たとえば「手つなご」の子どもたちのモチーフは、マチスの「ダンス」を連想させる。
 『コドモノクニ』にあっては、後進の画家のエネルギーに比べるとやや精彩を欠くが、絵に添えた詩は無駄がなく明快である。


参考文献
『初版本複刻 竹久夢二全集 解題』 長田幹雄著 ほるぷ出版 昭和60年
『竹久夢二の異国趣味』 荒木瑞子著 私家版 平成7年
 

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