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やすい・こやた 1905 - 1985 |

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| 1905(明治39)年 |
滋賀県に生まれる。滋賀県土山小学校卒業 |
| 1921(大正10)年頃より北野恒富に師事。美人画を学ぶ。 |
| 1931(昭和6)年 |
『コドモノクニ』に執筆を始める。 |
| 1943(昭和18)年頃 |
鉄道省嘱託となる。 |
| 1975(昭和50)年 |
病気になり執筆を中止する。 |
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はじめは、「村芝居」「柿の木」「デパート」など、さまざまな画題で登場するが、次第に、機械、特に乗物に集中していく。
緻密な調査に基づいて、正確にリアルに描かれた機械は、映画的なクローズアップとアングルで、強烈なインパクトを与える。松山文雄は、当時のことを雑誌「日本児童文学」臨時増刊「絵本」(1971)の、上笙一郎氏との対談のなかで次のように語っている。
「『コドモノクニ』で、ぼくは、いなかのものばかり描いているんじゃなくて、都会の子どもも描きました。『機械と子供』というテーマで、機関車や浚楪船やロードローラーのようなものをかいて、それに子どもの生活を結びつけた。これはもちろん説明なんか全然なくて、それだけを楽しむという絵だけれども、安井小弥太君がそのことに感心して、とくにぼくが機関車を描いたことに刺激されて、彼は汽車を描き始めた。それで、けっきょく彼は汽車の絵描きになったんです。そういうふうなかぎられた専門の画家がでてくるのも、この時代の特徴ですね。ちょうどそのころ、かれの絵が原動力になったのか、それとも別のほうからそういう気運がでてきたのか、その点はわからないけれども、乗りもの絵本というのがそのころからずっと出てきた。だからこんどは乗りもの絵本となると安井小弥太でしょう…」
安井小弥太はこのようにして、この分野の先駆者となり、「消防自動車」「無軌道電車」「氷山トタイタニック号」「日本一ノ高い鉄橋」「ケーブルカー」「空中戦」「超特急ツバメ号」「戦艦・長門」「急行列車」「チカテツデンシャ」「丹那道」「流線型色々」「タグラス機」「ケーブルカー」「巡洋艦愛宕」「流線型ガソリン・カー」「航空灯台」「クイーン・メリー号」などの作品がある。
著書に「海ノノリモノ」(富士屋書店、1940)ほか多数。
参考文献
『児童文学事典』 日本児童文学学会編 東京書籍 1988年 |
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