作家・画家紹介

赤羽末吉肖像

赤羽末吉(あかば すえきち)

1910-1990 著作一覧

絵本作家。東京生まれ。青年期に旧満洲にわたり、敗戦後まですごす。1961年、絵本『かさじぞう』でデビュー。日本画の手法による独自な絵本の制作をつづける。『だいくとおにろく』『白いりゅう黒いりゅう』『ももたろう』『スーホの白い馬』など多数の作品がある。国際アンデルセン賞画家賞受賞。

石井桃子肖像

石井桃子(いしい ももこ)

1907-2008 著作一覧

作家、翻訳家、編集者。埼玉県生まれ。日本女子大学卒業。1940年に最初の訳書『熊のプーさん』を出版して以降、たくさんの児童文学や絵本を翻訳、紹介する。戦時下に、空想的な長編童話『ノンちゃん雲に乗る』を書きはじめ、戦後になって出版する。戦後は、『岩波少年文庫』や『岩波の子どもの本』を企画・編集する。日本の近代児童文学を批判的に検討する研究会の討議をふまえて、1960年に共著『子どもと文学』を刊行。「子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすく」という規準を示して、その後の児童文学や児童出版に大きな影響をあたえる。晩年には、自伝的な長編『幻の朱い実』を刊行。自宅を開放して、「かつら文庫」を開いた時期もあり、子どもたちに豊かな文学を手渡すことと、その手渡し方とを考えつづけた生涯だった。

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井上洋介肖像
撮影 吉原朱美

井上洋介(いのうえ ようすけ)

1931- 著作一覧

絵本作家。東京生まれ。武蔵野美術学校卒業。大胆に子ども読者にせまる画風で、絵本や挿絵の制作をつづけている。絵本に『ちょうつがいの絵本』『まがればまがりみち』など、挿絵の仕事に、小沢正『目をさませトラゴロウ』、神沢利子『くまの子ウーフ』、さねとうあきら『地べたっこさま』などがある。

巌谷小波肖像

巌谷小波(いわや さざなみ)

1870-1933 著作一覧

作家。東京生まれ。10代後半に尾崎紅葉らの文学グループ「硯友社」の同人になり、小説を発表しはじめる。少年少女の淡い恋を描くことが多く、「文壇の少年屋」とも呼ばれた。1891年に博文館が刊行を開始した『少年文学』叢書の第一編として『こがね丸』を書く。これが好評を博したことから、子どもの文学とのかかわりが生まれ、子ども読者にとっておもしろく、楽しい作品は「小波お伽噺」として親しまれるようになる。創作『当世少年気質』『暑中休暇』のほか、『日本昔噺』全24冊をはじめとする再話のシリーズも数多く刊行し、『少年世界』などの雑誌の編集の仕事も多い。活字で流布するもののほかに、子どもたちに直接声で語る「口演童話」をはじめたことも大きな業績である。

江戸川乱歩肖像

江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)

1894-1965 著作一覧

作家。三重県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、職業を転々、失業中に雑誌『新青年』に送った探偵小説「二銭銅貨」が同誌に掲載され(1923年)、作家としてデビューする。「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」など、思いがけない仕掛けの佳作をつぎつぎと発表し、海外の探偵小説におとらない日本の探偵小説の書き手となる。1936年、講談社の雑誌『少年倶楽部』にもとめられて連載した「怪人二十面相」が子ども読者に大いに歓迎されて、連載は、「少年探偵団」「妖怪博士」とつづく。名探偵明智小五郎と助手の小林少年が活躍する、このシリーズは、戦後も、光文社発行の『少年』に掲載誌をかえて書きつがれていった。

岡本帰一肖像

岡本帰一(おかもと きいち)

1888-1930 著作一覧

童画家。淡路島生まれ。白馬会洋画研究所に学ぶ。1915年、冨山房版『模範家庭文庫』の楠山正雄『アラビアンナイト』『グリム御伽噺』の装丁と挿絵を担当。1919年に創刊された『金の船』(のち『金の星』と改題)の表紙絵、挿絵では、子どもの生き生きした表情を描き出す。舞台美術にも関心が深く、1920年に有楽座で上演された「青い鳥」の装置と衣装を手がける。1922年創刊の絵雑誌『コドモノクニ』では絵画主任をつとめ、1927年には、武井武雄や清水良雄と日本童画家協会を結成した。

小川未明肖像
提供 小川未明文学館

小川未明(おがわ みめい)

1882-1961 著作一覧

作家。新潟県生まれ。早稲田大学在学中から小説を書きはじめ、卒業後、雑誌『少年文庫』の編集にたずさわり、童話も書くようになる。1907年に第一小説集『愁人』、1910年に第一童話集『赤い船』を刊行するが、1926年に感想「今後を童話作家に」を発表して、童話に専念するようになる。生涯に1200編ほどの童話を書く。

戦後、未明童話は、ネガティブなテーマをかかえ、呪文的な文章で書かれているとして批判される。この未明批判をとおして、1960年前後に、日本の子どもの文学は、未明に代表される「近代童話」から「現代児童文学」へと転換していく。

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川上四郎肖像

川上四郎(かわかみ しろう)

1889-1983 著作一覧

童画家。新潟県生まれ。東京美術学校西洋画科卒業。中学校の図画教師をつとめたあと、コドモ社に入社し、『コドモ』『良友』『童話』などの児童雑誌の挿絵を担当する。農村育ちで、農村の子どもをしばしばモチーフとした。千葉省三の郷土童話集『トテ馬車』の口絵や、同じく省三の『ワンワンものがたり』の装丁、挿絵を手がけた。ペンよる線描の描写力が高く評価された画家で、武井武雄や初山滋とともに初期の童画を代表するひとりである。

北原白秋肖像

北原白秋(きたはら はくしゅう)

1885-1942 著作一覧

詩人、歌人。福岡県生まれ。早稲田大学入学ののち、与謝野鉄幹らの雑誌『明星』の同人となる。1909年に詩集『邪宗門』、1911年に『思ひ出』を刊行、その後も、数多くの詩集、歌集を世に送り出す。児童雑誌『赤い鳥』が創刊される際には、鈴木三重吉の依頼で童謡の創作と、雑誌への応募童謡の選を引きうける。童謡は、日本の伝承童謡である、わらべ唄の現代化をめざし、『とんぼの眼玉』(1919年)をはじめとして多くの童謡集を刊行した。イギリスの伝承童謡の翻訳である『まざあ・ぐうす』(1921年)や、童謡論集『緑の触覚』(1929年)もある。曲のついた童謡のうち、「この道」「からたちの花がさいたよ」「あわて床屋」などは、今日も歌いつがれている。

斎藤五百枝肖像

斎藤五百枝(さいとう いおえ)

1881-1966 著作一覧

挿絵画家。千葉県生まれ。東京美術学校西洋画科卒業。1914年、雑誌『少年倶楽部』創刊号の表紙絵に採用され、以後、同誌の表紙、口絵、挿絵を描く。たしかなデッサンには定評がある。佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」「少年讃歌」、大仏次郎「山嶽党奇談」、吉川英治「神州天馬侠」「花丸小鳥丸」の挿絵など。

佐藤さとる肖像
提供 有隣堂

佐藤さとる(さとう さとる)

1928- 著作一覧

児童文学作家。神奈川県横須賀市生まれ。関東学院工業専門学校建築科卒業。在学中から童話を書きはじめ、平塚武二に師事する。1950年には、長崎源之助、いぬいとみこらと同人誌『豆の木』を創刊。1959年に自費出版し、間もなく講談社からも刊行された『だれも知らない小さな国』は、散文的なことばで構築された長編ファンタジー。戦中から戦後にかけての少年主人公の成長と自己実現を描く。この作品などによって、読んでもらう幼年の読者ではなく、10代前半の子どもたちが黙読で楽しむものとしての現代児童文学のあり方がほぼ決定したといえる。これにはじまる『コロボックル物語』シリーズのほか、『おばあさんのひこうき』などの幼年童話、『おおきなきがほしい』などの絵本もある。

清水良雄肖像

清水良雄(しみず よしお)

1891-1954 著作一覧

画家、童画家。東京生まれ。東京美術学校西洋画科卒業。1917年、鈴木三重吉『世界童話集』第一編『黄金鳥』の表紙を描いたことがきっかけとなり、1918年に三重吉によって創刊された児童雑誌『赤い鳥』の主任画家となる。表紙絵や挿絵を終刊まで描く。その斬新な画風は、北原白秋や西条八十の童謡ともよくマッチした。『コドモノクニ』『子供之友』『キンダーブック』などの絵雑誌にも多数の絵を描いた。

鈴木三重吉肖像

鈴木三重吉(すずき みえきち)

1882-1936 著作一覧

作家。広島市生まれ。東京帝国大学英文科在学中に講義をうけた夏目漱石の推薦で、最初の小説「千鳥」を発表。つづけて詩情豊かな短編小説を発表して、人気作家となる。ところが、やがて、創作に行きづまり、出版を手がける。1918年、児童雑誌『赤い鳥』を創刊。芥川龍之介、有島武郎、宇野浩二、佐藤春夫、島崎藤村、豊島与志雄らの作家、北原白秋、三木露風、西条八十らの詩人に呼びかけて生まれた童話や童謡を掲載する。『赤い鳥』は、大正自由教育を背景に、子どもの文学・文化の芸術性を飛躍的に高めていく。山田耕筰、成田為三らの童謡曲譜や、清水良雄、深沢省三らの童画も雑誌をかざった。三重吉自身の子どものための創作には、「ぽっぽのお手帳」『古事記物語』などがある。

谷川俊太郎肖像
撮影 菊池一郎

谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)

1931- 著作一覧

詩人。哲学者である父徹三と音楽学校出身の母多喜子の一人っ子として東京で育ち、学校に対する違和感をかかえていた都立豊多摩高校時代に、詩を書きはじめる。高校を卒業した年に、父の友人の三好達治の推薦で「ネロ他五篇」が雑誌『文学界』に掲載され、詩人としてデビュー。1952年には、第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。デビュー作のひとつ「ネロ」は、ネロという死んだ小犬に呼びかけながら、子ども時代との別れを語る。

詩や絵本、童話、翻訳など、子どもの本の世界でも幅広く活躍し、子どもたちのことばを深く豊かに掘り起こす仕事をつづけている。

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長新太肖像

長新太(ちょう しんた)

1927-2005 著作一覧

漫画家、イラストレーター、絵本作家。東京生まれ。大胆な筆づかいによる独自なナンセンス絵本でよく知られる。『ぼくのくれよん』『ちへいせんのみえるところ』『キャベツくん』『わたし』などの絵本のほか、今江祥智『山のむこうは青い海だった』や長崎源之助『あほうの星』など装丁、挿絵の仕事も多い。

那須正幹肖像

那須正幹(なす まさもと)

1942- 著作一覧

児童文学作家。広島市生まれ。3歳で被爆する。島根農科大学林学科卒業。実姉の児童文学作家竹田まゆみの導きで書きはじめ、1972年、長編『首なし地ぞうの宝』でデビュー。SFの手法で現代の子ども読者に戦時下の状況を経験させる戦争児童文学『屋根裏の遠い旅』をはじめ、問題提起的な作品が多い。1980年には、理想主義的な現代児童文学の決まりきったあり方とはちがう作品『ぼくらは海へ』を発表する。一方で、1978年から2004年にかけて、「ズッコケ三人組」シリーズ50巻を書きつづけ、エンターテインメントのかたちで子ども読者に現在、過去、未来にわたる、さまざまな問題をなげかけた。同シリーズは、膨大な読者を獲得し、ある時期の日本の子どもたちの「教養形成」をした本ともいえる。

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新美南吉肖像
提供 新美南吉記念館

新美南吉(にいみ なんきち)

1913-1943 著作一覧

童話作家。愛知県生まれ。旧制半田中学卒業後、小学校の代用教員時代に児童雑誌『赤い鳥』に童謡や童話を投稿しはじめる。多くの童謡と、「ごん狐」などの童話が掲載される。『赤い鳥』の応募童謡の選者であった北原白秋門下の童謡詩人たちの雑誌『チチノキ』の同人にもなる。その後、上京し、東京外国語学校英語部卒業。いくつかの職業を経験したのち、愛知県立安城高等女学校教諭となる。1942年に第一童話集『おぢいさんのランプ』を刊行したが、43年、29歳で病没。没後に童話集『牛をつないだ椿の木』『花のき村と盗人たち』が刊行される。郷土の生活世界のなかでストーリー性豊かに展開する南吉童話は、戦後も読みつがれ、「ごん狐」は、長く小学校の国語教科書に掲載されている。

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初山滋肖像

初山滋(はつやま しげる)

1897-1973 著作一覧

童画家、木版作家。東京生まれ。小学校卒業後、日本画家井川洗崖の弟子になる。1919年、小川未明監修によって創刊された児童雑誌『おとぎの世界』の主任画家になって以降は童画に専念する。幻想的な画風で、小川未明の童話の挿絵でよく知られる。絵本に『たべるトンちゃん』『もず』などがある。『もず』は、木版によるもの。

深沢省三・紅子肖像

深沢省三(ふかざわ しょうぞう)

1889-1992 著作一覧

深沢紅子(ふかざわ こうこ)

1903-1993 著作一覧

深沢省三と紅子は夫妻。いずれも洋画家、童画家。いずれも岩手県盛岡市生まれ。

省三は、東京美術学校卒業。児童雑誌『赤い鳥』で、川端康成「級長の探偵」、新美南吉「ごん狐」などの挿絵を描く。『コドモノクニ』『子供之友』でも挿絵を担当した。

紅子は、女子美術学校卒業。『子供之友』に童画を描く。坪田譲治『魔法』や巽聖歌の童謡集『雪と驢馬』の装丁、挿絵を手がけた。

古田足日肖像
撮影 伊藤英治

古田足日(ふるた たるひ)

1927-2014 著作一覧

児童文学評論家、児童文学作家。愛媛県生まれ。早稲田大学文学部中退。早大在学中の1953年、鳥越信、神宮輝夫、山中恒ら「早大童話会」の仲間たちとともに「『少年文学』の旗の下に!」を発表し、それまでの「童話」の伝統を克服し、新しい時代の児童文学をめざすことを宣言する。その宣言の問題意識を深めるかたちで評論を書きすすめ、1959年には、第一評論集『現代児童文学論』を刊行する。『ぬすまれた町』(1961年)以降は、評論家としての意見を作家として実践するようになり、子どもをめぐる現代的な問題を、その子ども自身にむかって語っている。『ロボット・カミイ』などの幼年童話にも佳作が多く、画家田畑精一との共作の絵本『おしいれのぼうけん』は長く読みつがれている。

松谷みよ子肖像

松谷みよ子(まつたに みよこ)

1926-2015 著作一覧

児童文学作家。東京生まれ。東洋高等女学校卒業。太平洋戦争末期から長野県に疎開する。戦後、やはり野尻湖に疎開していた坪田譲治をたずね、童話を書きためたノートをあずける。1948年、坪田の推薦で短編「貝になった子供の話」が雑誌『童話教室』に掲載され、デビュー。1960年、信州の小泉小太郎伝説に取材した民話の再創造ともいえる長編『龍の子太郎』を発表、これは、自らも成長しながら村の貧しさをこえていく子ども像を描き出して、現代児童文学の草創期を代表する作品の一つになった。『ちいさいモモちゃん』などの幼年童話、『いない いない ばあ』などの絵本、『ふたりのイーダ』などの戦争児童文学、現代民話の採集など、その仕事は幅広い。

まど・みちお肖像
撮影 伊藤英治

まど・みちお

1909-2014 著作一覧

詩人。山口県生まれ。小学生で台湾にわたり、台北工業学校土木科卒業。1934年、試みに創作し、絵雑誌『コドモノクニ』に投稿した童謡が北原白秋の選で特選の一・二位になったことから童謡を創作するようになり、雑誌に発表。その後、応召、シンガポールで敗戦をむかえ、日本に復員する。戦後は、東京で幼年雑誌の編集をしながら童謡を書きつづけ、「ぞうさん」をはじめとする数多くの名作童謡を生む。1968年になって、第一詩集『てんぷらぴりぴり』を刊行する。『まめつぶうた』などの詩集のほか、『ぞうさん』などの童謡集がある。童謡も詩も、平明なことばで、いのちと宇宙の根源にふれる作品である。国際アンデルセン賞作家賞受賞。

みやざわ・けんじ肖像

宮沢賢治(みやざわ けんじ)

1896-1933 著作一覧

詩人、童話作家、農芸化学者。岩手県生まれ。盛岡高等農林学校卒業。盛岡中学在学中に短歌の制作をはじめる。中学卒業後に島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』を読んで感動し、高等農林時代には片山正夫『化学本論』を愛読し、童話の創作もはじめる。文学、仏教、自然科学によって自己形成をした賢治の世界観は独自なものといえる。稗貫農学校教諭時代の1924年に詩集『春と修羅』および童話集『注文の多い料理店』を出版する。童話集は「イーハトヴ童話」と銘打たれ、「イーハトヴ」とは「ドリームランドとしての日本岩手県」だという。賢治童話の世界は、実際には貧しく困難な現実にかさねて「ドリームランド」を幻視するような想像力によってささえられている。

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