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ペリー来航 1 ペリー来航

アメリカは、清(中国)との貿易や捕鯨(ほげい)の中継地として日本を開国させようと考えた。

ペリー艦隊の航路図

ペリー艦隊の航路

 

ペリー来航 2 ペリー来航

1853年、東インド艦隊司令長官のペリーは4隻の軍艦で浦賀に入港した。
ペリーは日本の開国を求めるアメリカ大統領フィルモアの国書を提出し、開国を求めた。

 

ペリー来航 3 ペリー来航

幕府は、広く大名たちに意見を聞いたが、開国への賛成と反対でまとまらないまま、 1854年に再び来航したペリーの強い態度に押され、 日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結んだ。

 

ペリー来航 ペリー来航 4

長州藩の吉田松陰(よしだしょういん)は、 黒船に乗り込みアメリカに密航することを企てたが、見つかり捕まった。
ペリーが書いた『日本遠征記』には松陰のことが記されている。

 

ペリー来航 ペリー来航 5

ペリー来航と同じ1853年、ロシアのプチャーチンらが長崎に来航し、日本との条約締結を申し出た。

 
ペリー来航6

ロシアのプチャーチンらは、1854年に下田で安政の大地震による津波に遭遇して、一旦交渉を中断したが、 1855年に日露和親条約(にちろわしんじょうやく)を締結した。 幕府は、アメリカやロシアのほか、イギリス、オランダとも和親条約を結んだ。

 
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