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明治維新 1

戊辰戦争(ぼしんせんそう)で勝利した新政府は、1868年五箇条の誓文(ごかじょうのせいもん)を出した。

 

明治維新 2

五箇条の誓文(ごかじょうのせいもん)が出された翌日、人民の心得を示した五種の高札「五榜の掲示(ごぼうのけいじ)」が出される。キリスト教の禁止なども定められている。

 

明治維新 3

明治維新の大きな目的は、明治新政府による中央集権国家の建設であった。1868年、江戸を東京と改称し、年号を明治に改め、翌1869年東京を新しい首都とし、天皇も政府も移った。

 

明治維新 4

新政府が全国の土地と人々を直接治める中央集権国家を作るため、1869年木戸孝允(きどたかよし)や大久保利通(おおくぼとしみち)らが中心となり、土地や人民を朝廷に返上させる「版籍奉還」(はんせきほうかん)を実施した。

 

明治維新 5

1871年、藩を廃止して県を置く「廃藩置県」(はいはんちけん)を実施。中央から府知事や県令を派遣する仕組みを作った。

廃藩置県の図

廃藩置県の図

 

明治維新 6

1869年7月には、中央集権だった日本古代の政治組織を復活させた「太政官制」を新政府の体制とした。木戸孝允(きどたかよし)、西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)らは参議に任命された。

太政官制の図

太政官制の図

 

明治維新 7

江戸時代の厳しい身分制度を廃止し、公家・大名は華族、武士は士族、農民・町人などは平民と呼ばれるようになった(四民平等(しみんびょうどう))。

 

明治維新 8

1871年に「えた・ひにん」の呼び名を廃止する「解放令」が出された。ただし、すぐに差別が無くなったわけではなかった。

明治初めの身分別人口の割合グラフ 関山直太郎『近世日本の人口構造』吉川弘文館 1958 p.310から作成

明治初めの身分別人口の割合

 
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