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1873年の徴兵令(ちょうへいれい)や1876年の廃刀令(はいとうれい)や秩禄処分(ちつろくしょぶん)で士族は特権を奪われたため、1870年代に西日本各地で反乱が起きた。
各地の士族の反乱
1873年、征韓論(せいかんろん)に敗れ、鹿児島に戻った西郷隆盛(さいごうたかもり)は、翌年鹿児島に私学校を設立し、士族の教育を始める。
中島蒿『逆巻く浪夢の夜嵐 乾』 金港堂明治21 (1888) 【1-158】
私学校は大勢力となり、大久保利通(おおくぼとしみち)ら中央政府と対立し、ついに1877年、徴兵による政府軍と士族から成る西郷隆盛の軍との間で西南戦争(せいなんせんそう)が起きた。
永島辰五郎 永嶌孟斎『田原坂合戦の図』 長谷川忠兵衛明治10 (1877) 【寄別7-3-1-4】
追い詰められた西郷軍は鹿児島の城山に立てこもり、西郷隆盛(さいごうたかもり)は自決した。この西南戦争以後、士族の武力による反乱はなくなり、言論による政治批判が中心となった 。
長嶋辰五郎『西郷涅槃像』(西南戦争錦絵) 熊谷庄七明治10 (1877) 【寄別8-5-1-1】