展示会「子どもの本の夜明け 帝国図書館展」小冊子 (表紙) 「子どもの本の夜明け 帝国図書館展」展示会ミニガイド The Imperial Library and the Dawn of Japanese Children's Books 左側に、帝国図書館の建物を受け継いだ国際子ども図書館レンガ棟3階、大階段の階段室の扉が開かれ、夜明けの光が窓から差し込んでいる写真があります。写真の下部、階段室の廊下に、書影が4点配置されています。 上から『こがね丸』(少年文学 㐧壱)(書影)巌谷漣(小波) 著, 大橋新太郎 編 博文館 1891、『赤い鳥』4(6)(書影)1920 年 6月号 赤い鳥社、『アリス物語』(書影)(小学生全集 28)菊池寛, 芥川竜之介 訳 , 平沢文吉 絵 興文社 1927、『君たちはどう生きるか』(日本少国民文庫 4)(書影)吉野源三郎 著, 脇田和 絵 新潮社 1949 (国際子ども図書館シンボルマーク) 国立国会図書館国際子ども図書館 International Library of Children's Literature (1ページ) この展示会では、帝国図書館とその前身である東京図書館の時代に産声を上げた、子どもの本の歩みをたどります。 明治維新から20年を経た1880年代、子どもを対象とした雑誌が複数誌創刊されました。それを皮切りに、日本の子どもの本の興隆が見られました。大正期に入ると、民主主義的な時代背景もあり、芸術性の高い児童雑誌『赤い鳥』が創刊され、童心文学の土台となりました。また、戦前の昭和前期には、子どもの本でさえ戦意高揚の道具として利用されることになりました。 このような近代日本の子どもの本の歩みをたどりつつ、子どもの本の作者たちと帝国図書館とのエピソードについても紹介します。名立たる文学者たちのテキストから、彼らの子どもの本への貢献、帝国図書館との関わりを読み取っていただけると思います。 帝国図書館と子どもの本のあゆみ 帝国図書館のあゆみ 1885(明治18)年 湯島聖堂内の東京図書館が東京教育博物館と合併(文部省所管)し、上野に移転 1889(明治22)年 東京図書館官制公布(東京教育博物館と分離) 1897(明治30)年 帝国図書館官制公布 1906(明治39)年 帝国図書館第一期竣工、開館 (明治期の竣工直後の帝国図書館の東側外観の写真) 1947(昭和22)年 国立図書館と改称 1949(昭和24)年 国立国会図書館支部上野図書館(国会所管)に改組 子どもの本のあゆみ 1888(明治23)年 日本初の少年雑誌『少年園』創刊 1891(明治24)年 日本初の子ども向け叢書「少年文学」第1編として巌谷小波著『こがね丸』刊行 同年 日本初の幼児向け叢書「幼年文学」の第1巻として尾崎紅葉著『鬼桃太郎』刊行 1918(大正7)年 児童雑誌『赤い鳥』を鈴木三重吉が創刊 1924(大正13)年 宮沢賢治生前唯一の童話集『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行 1936(昭和11)年 江戸川乱歩著「怪人二十面相」が児童雑誌『少年倶楽部』に掲載 1937(昭和12)年 吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』刊行 1941(昭和16)年 井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカ行き』刊行 (2ページ) 『少年園』と執筆者たち 明治維新以後、欧化政策が推進され、文明開化の風潮が高まっていましたが、それに対抗して儒教に基づく道徳的な教育の重要性が説かれるようになり、1890(明治23)年に教育勅語が発布されました。 そのような思潮の中1888年、少年雑誌の先駆けとなる『少年園』を山縣悌三郎(1859年~1940年)が創刊しました。文部省出身の山縣は、広い視野で少年の教育を考え、学校・家庭・社会での総合的な教養の発展を構想しました。『少年園』は、少年向き論説欄の「少年園」、最新の海外科学・歴史記事を掲載した「学園」、文芸欄の「文園」等から構成され、山縣の壮大な教育構想を反映するものでした。「文園」には、幸田露伴(1867年~1947年)が「美少年」を、森鷗外(1862年~1922年)が「新世界の浦島」(米国作家ワシントン・アーヴィング(1783年~1859年)原作)をそれぞれ寄稿しています。彼らは、東京図書館(帝国図書館の前身)に集った文学者でもありました。 『少年園』2巻13号(書影) 1889 森鴎外(肖像写真) 帝国図書館所縁の文学者と子どもの本 夏目 漱石(1867年~1916年)(肖像写真) 日本近代文学を代表する小説家です。『吾輩は猫である』など国語の教科書に掲載される文学作品も数多く残しました。随筆「思ひ出す事など」に、東京図書館に通った子ども時代を思い出す場面があります。 また、俳人として知られる友人の正岡子規(1867年~1902年)への書簡では、当時設立予定だった帝国図書館への就職願望を明かしています。 樋口 一葉(1872年~1896年)(肖像写真) 小説家・歌人。小説『にごりえ』『十三夜』などで大衆の喜びや悲しみを描き評価されました。思春期の若者たちの姿を描いた『たけくらべ』は、児童文学としても親しまれています。 また、文学的価値も高いとされる日記には、東京図書館に何度も通ったと記されています。 (3ページ) 明治の児童文学「御伽噺」 巌谷小波(1870年~1933年)に代表される明治時代の創作児童文学は「御伽噺」と総称されています。民話や伝説、昔話などの説話を元にした創作物語です。国内外の名作や古典を子ども向けに再話して紹介する〈日本昔噺〉、〈世界お伽噺〉シリーズなども刊行されました。 その後、明治後期から大正期にかけて、小川未明(1882年~1961年)に代表される詩的な創作物語「童話」が主流となりました。 巌谷 小波(1870年~1933年)(肖像写真) 児童文学作家、小説家。十代後半から、尾崎紅葉が立ち上げた硯友社の一員として小説を発表していました。少年少女の純愛を多く著し、「文壇の少年屋」と呼ばれ注目されていました。 1891(明治24)年に博文館から刊行された『こがね丸』は、日本初の子ども向け叢書「少年文学」の第一編です。数多くの児童雑誌で主筆を兼ねる一方、〈日本お伽噺〉、〈世界お伽文庫〉シリーズ等を編纂し、国内外の名作や昔話を子ども向けに再話して紹介しました。小波が著した数々の話は「小波お伽噺」として当時の子どもたちに親しまれました。 子どもの歌や児童劇の脚本を作成したり、童話を大勢の子どもに直接声で語って聞かせる「口演童話」を行うなど、明治期の児童文化に大きく寄与しました。 尾崎 紅葉(1868年~1903年)(肖像写真) 小説家、俳人。学生時代の1885年、文学結社「硯友社」を設立し、泉鏡花(1873年~1939年)、徳田秋声(1871年~1943年)など多数の優れた門弟を輩出しました。東京図書館に通った田山花袋(1872年~1930年)も弟子のひとりです。 紅葉自身が帝国図書館や前身の東京図書館を訪れたという確証はありませんが、東京図書館に通った淡島寒月や幸田露伴とは親交がありました。 代表作は「金色夜叉」です。児童文学としては、博文館の少年文学叢書に2編執筆したほか、同社が企画した幼年文学叢書の第1号として昔話「桃太郎」のその後を描いた「鬼桃太郎」を上梓しました。 (4ページ) 童心を描く『赤い鳥』 大正デモクラシーの時代、文学・文化への注目が高まり、児童文学の世界にも新しい運動がおこります。そのきっかけとなったのは、鈴木三重吉(1882年~1936年)が1918(大正7)年に創刊した児童雑誌『赤い鳥』です。 三重吉は、それまでの教訓的な御伽噺や大衆的な読み物ではなく、子どもには芸術性の高い作品を与えるべきであると考えました。もともと夏目漱石(1867年~1916年)門下の作家であった三重吉は、『赤い鳥』に自ら筆をとるとともに、文壇で活躍していた作家たちに協力を呼びかけます。その熱意に賛同した執筆者には、森鴎外(1862年~1922年)をはじめ、小川未明(1882年~1961年)や 北原白秋(1885年~1942年)、菊池寛(1888年~1948年)、芥川龍之介(1892年~1927年)などがいました。やがて坪田譲治(1890年~1982年)や新美南吉(1913年~1943年)ら新進作家が『赤い鳥』の中心的役割を担うようになります。 『赤い鳥』につづいて、『金の船』(のち『金の星』と改題)などの児童雑誌が刊行され、これらを舞台に、子どもの「童心(純粋無垢な心)」を描く「童心文学」が開花し、童話や童謡がさかんに書かれました。 『赤い鳥』創刊号(書影) 1918 菊池寛と芥川龍之介 菊池寛は、鈴木三重吉の『赤い鳥』に賛同し、1919(大正8)年4月号に掲載された「一郎次、二郎次、三郎次」を皮切りに、多数の児童文学を残しています。 『赤い鳥』1923年1月号に掲載された「八太郎の鷲」を最後に童話の創作は途絶えますが、同年創刊した『文藝春秋』の編集に注力するためであり、児童文学への情熱がなくなったわけではありませんでした。 1925年に学年別の〈小学童話読本〉を編集すると、1927(昭和2)年には親友である芥川龍之介の助力を得て〈小学生全集〉の編集を開始しました。同年7月に逝去した芥川が遺した未完の訳稿を菊池が共訳本として完成させ、11月に『アリス物語』を、1929年に『ピーターパン』を、それぞれ〈小学生全集〉のうちの1冊として上梓しました。 菊池寛(肖像写真) 『アリス物語』(書影)菊池寛, 芥川竜之介 訳, 平沢文吉 絵 興文社 1927 芥川龍之介(肖像写真) (5ページ) 大衆的な児童文化 明治中期には、「御伽噺」や「童話」とは異なる児童文学が現れ始め、純文学的・芸術的な児童文化と大衆的・通俗的な児童文化が区別されるようになりました。 小説家押川春浪(1876年~1914年)は、空想的な科学兵器を登場させるなどSFの要素を含む冒険小説により、当時の少年たちの支持を得ました。 児童文学における時代小説の基盤となったのは、講談物を中心にした〈立川文庫〉シリーズです。手のひらサイズの豆本で、大正末までに約200冊余が出版されました。中でも『猿飛佐助』や『霧隠才蔵』は、大正の忍術ブームを巻き起こすほど人気を博しました。 『赤い鳥』を中心とした芸術的児童文学が衰退していく一方、大衆的な児童雑誌『少年倶楽部』や『少女倶楽部』は、それぞれ少年少女を熱中させました。 江戸川 乱歩(1894年~1965年) 日本の推理小説の基礎を築き、その発展に貢献した小説家です。江戸川乱歩というペンネームは、アメリカの詩人・小説家のエドガー・アラン・ポー(1809年~1849年)をもじって付けたものです。ポーの影響を感じさせる、暗号解読を題材にした短編推理小説「二銭銅貨」で、1923(大正12)年にデビューしました。 児童向け作品の〈少年探偵団〉シリーズでも、論理とトリックを駆使したストーリーで子どもたちを推理の世界にいざないました。 随筆「映画横好き」によると、映画関係の仕事に就きたいと考えた乱歩は、帝国図書館に所蔵されていた映画関連の本を数日かけて読み、すっかり映画通になったつもりで映画についての論文を書きました。それを各映画会社に送って監督見習いに志願しましたが、全く返事が来なかったそうです。 1929(昭和4)年頃の帝国図書館(写真) 江戸川乱歩『吸血鬼』の中で誘拐された子どもの身代金の受け渡し場所に帝国図書館の裏が指定された。 『怪人二十面相』(書影)江戸川亂歩 著 大日本雄辯會講談社 1936 (6ページ) 昭和前期の児童文学 昭和前期(1926年~1945年)には、政府による言論統制が本格化し、児童文学も子どもを戦争に駆り立てる道具として利用されることになりました。1938(昭和13)年10月、内務省が通達した「児童読物改善二関スル指示要綱」は、主に漫画などの俗悪出版物を取り締まり、その上で児童の自主性を惹起し、合理的な社会生活を営むことができるよう児童の成長を促すことを目的としていました。同要綱の影響により、芸術的児童文学の復興現象が1942年頃まで見られました。 その一方で、要綱通達前年の1937年には、〈日本少国民文庫〉シリーズの第5巻として、吉野源三郎(1899年~1988年)が日本の児童文学における倫理小説の草分けと言われる『君たちはどう生きるか』を刊行しました。また、日本少国民文学協会が創立され、戦前期の児童文学が後期にさしかかる1941年には、井伏鱒二(1898年~1993年)が英国の作家ヒュー・ロフティング(1886年~1947年)の原作をユーモアあふれる『ドリトル先生アフリカ行き』として翻訳、刊行しました。 『君たちはどう生きるか』(日本少国民文庫 4)(書影)吉野源三郎 著 新潮社 1949 宮沢 賢治(1896年~1933年) 岩手県生まれの詩人・童話作家です。農学校教師や農業技師として生活しつつ、東北地方の自然と生活を題材に、詩と童話を多数創作しました。学生時代には、自作の童話を弟や妹に読み聞かせたといいます。生前は詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の2冊が自費出版されたのみの無名の作家でしたが、賢治の実力を認めていた、高村光太郎(1883年~1956年)や草野心平(1903年~1988年)などの詩人らの尽力により作品が出版され、死後にその名が広く知られるようになりました。 1921(大正10)年に上京した時、帝国図書館を度々訪れていました。創作意欲が高まっていた時期で、数多くの作品を書いており、帝国図書館を題材にした作品「図書館幻想」も書いています。 宮沢賢治「図書館幻想」の登場人物ダルケが眺める大きな窓を想起させる旧帝国図書館西側の窓(平成の改修前)(写真) 「グスコーブドリの伝記」(書影)『グスコーブドリの伝記 : 童話』宮沢賢治 著, 横井弘三 絵 羽田書店 1941 「注文の多い料理店」(書影)前記『グスコーブドリの伝記 : 童話』所収 (裏表紙) 「子どもの本の夜明け 帝国図書館展」 The Imperial Library and the Dawn of Japanese Children's Books (窓枠で区切られた中に、書影5点、肖像写真5点、建物の写真2点配置。) 書影は、右列から『アリス物語』(小学生全集 28)(書影)菊池寛 , 芥川竜之介 訳 , 平沢文吉 絵 興文社 1927、『怪人二十面相』(書影)江戸川亂歩 著 大日本雄辯會講談社 1936、『君たちはどう生きるか』(日本少国民文庫4)(書影)吉野源三郎 著, 脇田和 絵 新潮社 1949、『赤い鳥』複製版14(1) 1925年1月号(書影)日本近代文学館 1968、『こがね丸』(少年文学 㐧壱)(書影)巌谷漣(小波) 著, 大橋新太郎 編 博文館 1891 肖像写真は、右列から 小泉八雲、芥川龍之介、宮沢賢治、夏目漱石、樋口一葉 建物の写真は、右から1階大階段、シャンデリア 展示会場撮影OK! ※一部を除きます。 国際子ども図書館での撮影について 撮影ができる場所 本のミュージアム内の撮影禁止でない場所 大階段、廊下、ホールなど 撮影ができない場所 本のミュージアム内の撮影禁止の箇所 資料が置いてある部屋 (子どものへや、世界を知るへや、調べものの部屋、児童書ギャラリーなど) 他の人の迷惑にならないように撮影しましょう! 発行:国立国会図書館 2024年3月26日 編集:国立国会図書館国際子ども図書館    〒110-0007 東京都台東区上野公園12-49 TEL:03-3827-2053(代表) URL:https://www.kodomo.go.jp/ (リサイクル適性マーク) (QRコード) ISBN:978-4-87582-925-6