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解説「江戸絵本とその時代」

一章 江戸時代(1603-1867)

(注記:以下のテキスト本文はすべて朗読と同じ内容を書き出したものです。)

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(♪) 1600年、天下分け目の関ヶ原の戦いは、徳川方の勝利に終わりました。
(♪) 征夷大将軍となった徳川家康は、江戸に幕府を開きました。以来、第15代将軍・徳川慶喜が大政奉還をするまでの約260年間を、私たちは江戸時代とよんでいます。
(♪) 江戸時代は、日本の歴史上はじめて、長く平和のつづいた時代でした。また鎖国といって、オランダ・中国以外の国とは交易を持たず、日本人の海外渡航も固く禁じられておりました。そのため日本は、アジアのはずれに細長くのびる島国として、海外の影響を極端には受けにくい、独特な国柄と文化をもつ国になっていきました。

「江戸両国すずみの図」 歌川豊國

文化6〜8年(1809〜11)頃

国立国会図書館蔵

(♪) 江戸時代も初期の頃は、京都や大坂の町がまだ力をもっておりましたので、文化の主流も上方にありました。しかし、しばらくすると政治・経済・文化のあらゆる面で、江戸が日本の中心になってゆきました。特に「士農工商」という身分制度のもとで、低い身分とされていた商人たちが、平和な時代を背景に経済力を増してゆくと、彼ら町人階級の中から、様々な文化が生みだされました。(♪)

日本橋魚市場の光景「江戸雀」 菱川師宣

延宝5年(1677)

国立国会図書館蔵

日本橋魚市場の光景「江戸名所図会(1巻)」

天保5年(1834)

国立国会図書館蔵

呉服屋前の正月のにぎわい「松坂屋之図」歌川国芳

天保5年(1834)

東京都立中央図書館蔵(無断複製を禁じます)

二章 江戸の文化

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(♪) 絵画では浮世絵が有名です。喜多川歌麿の美人画、東洲斎写楽の役者絵、葛飾北斎や歌川広重の風景画などがその代表的なものですが、浮世絵の独特な表現技法は、ヨーロッパの画家たちにも多くの影響を与えたと言われております。

「婦女人相十品(ビードロ吹き)」 
喜多川歌麿

寛政4〜5年(1792〜93)頃 

東京国立博物館蔵
Image:TNM Image Archives

「三世大谷鬼次 奴江戸兵衛」 
東洲斎写楽

寛政6年(1794)

重要文化財 東京国立博物館蔵 
Image:TNM Image Archives

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 葛飾北斎

天保2年(1831)頃

東京国立博物館蔵 
Image:TNM Image Archives

「東海道五十三次之内 蒲原」 歌川広重

天保4年(1833)頃

東京国立博物館蔵 
Image:TNM Image Archives

(♪) 演劇では、歌舞伎が庶民の娯楽の代表になりました。(♪) また文学では、遊里を舞台にした洒落本や、十返舎一九・式亭三馬などの庶民生活をユーモラスに描いた滑稽本が読まれ、俳諧・川柳などの庶民文芸も、多くの人々に歓迎されました。

芝居小屋内の光景
「中村座内外の図」より
歌川豊國

文化14年(1817)

国立国会図書館蔵(全体図および部分図)

芝居小屋外のにぎわい
「中村座内外の図」より
歌川豊國

文化14年(1817)

国立国会図書館蔵(全体図および部分図)

「江戸の花京橋名取京伝像」 
鳴鳩斎栄里

寛政6〜12年(1794〜1800)頃

東京国立博物館蔵 
Image:TNM Image Archives

浮世絵師から戯作者となった山東京伝(1761〜1816)は、黄表紙や洒落本の第一人者として有名でしたが、寛政の改革による筆禍事件で執筆禁止の処分を受けました。彼は当時『南総里見八犬伝』の作者・曲亭(滝沢)馬琴とならんで、職業作家の人気を二分していました。

三章 草双紙

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(♪) 庶民文芸の中で、主に女性や子ども向けの出版物としては、草双紙があげられます。草双紙は本文10ページほどの簡易な作りのものでしたが、さし絵と平仮名だけのやさしい画面構成は、江戸中期から後期にかけて、女性や子どもの間で絶大な人気を得ることになりました。(♪)

「的中地本問屋(あたりやしたじほんどんや)」
十返舎一九作画

享和2年(1802)

国立国会図書館蔵

地本問屋とは江戸で出版販売を行った店のことで、これは草双紙が大当たりをとるまでの製作過程を、『東海道中膝栗毛』で有名な十返舎一九が面白おかしく描いたものです。

1ページ

2−3ページ:版元が酒の中に作品のよく出来る薬を入れて一九に飲ませる。

4−5ページ:出来上がった作品を版木屋に彫らせる。

6−7ページ:摺り師(すりし)が摺る。

8−9ページ:摺り上がった草紙を順番に並べる。

10−11ページ:前後天地を裁ちそろえる。

12−13ページ:拍子をとりながら、表紙を掛ける。

14−15ページ:草紙を綴じる。

16−17ページ:売り出しの日。早くも引っぱりだこ。

18−19ページ:店先に人の群れ。売り切れ続出の大当たり。

20ページ:売り出しの日は、版元が作者に蕎麦をふるまったという。

裏表紙

(♪) 中でも「赤本」とよばれた、おとぎ話を主体にした草双紙は、ここで私たちが「江戸絵本」として取り上げた作品にあたるものですが、「桃太郎」「舌切り雀」「はちかづき姫」「ぶんぶく茶釜」「さるかに合戦」など、現代の子どもたちにも読み継がれている有名な作品が、数多く含まれています。(♪)

赤本は、表紙が赤いのでそのように呼ばれているのですが、草双紙は時代が下るにつれて、黒本・青本・黄表紙と呼び名が変わり、(♪) 江戸後期には、数冊を合本にした「合巻」と呼ばれるものが登場します。(♪)

青本「臥夜黒牡丹(ふせやのこくぼたん)」 市原鬼童

明和6年(1769)

国立国会図書館蔵

青本「葛城皇子邪神退治(かつらぎのおうじいけにえたいじ)」

宝暦10年(1760)

国立国会図書館蔵

四章 絵巻と絵本

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(♪) ところで、物語に絵を付けたり、歴史的事件を絵巻物で表現するという方法は、日本では古くから行われておりました。(♪) 12世紀に描かれた『源氏物語絵巻』や『伴大納言絵巻』、『信貴山縁起絵巻』をはじめ、数多くの絵巻がいまに残されています。また室町時代後期から江戸時代初期にかけては、奈良絵本という、御伽草子などに色あざやかな挿絵をつけた作品が、数多く描かれるようになりました。

「信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)」 
鉢が飛来して米倉を宙に持ち上げる冒頭の場面

平安時代後期(12世紀後半) 国宝

信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)蔵
写真提供/奈良国立博物館(全体図および部分図)

(♪) 草双紙はさらに庶民的な性格のものですが、戯作者と浮世絵師が一体となって様々な作品をつくり続け、庶民生活の中に深くとけ込んで、人々に長く愛されました。この草双紙は明治の中頃まで刊行されますが、江戸末期から明治にかけては、もっと小型に子ども向けにつくり直した豆本もたくさん刊行されております。

五章 赤本と子どもたち

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(♪) 江戸時代の子どもたちに喜ばれた赤本は、どんな売られ方をしていたのでしょうか。二代目団十郎が演じた「年玉扇売り」の台詞のなかに、お年玉用品として売られた品々、たとえば扇・たばこ・筆・袋菓子などと並んで、「読み初め赤本」という言葉がでてきます。 新年早々、刊行されたばかりの赤本が、子どもたちへのプレゼント用として扱われていた様子がうかがえます。赤本の結末におめでたいお話が多いのは、そのような理由があったのかもしれません。(♪)

「歌舞伎年代記」

国立国会図書館蔵(全体図および部分図)

団十郎が売り歩くお年玉用品の箱の中に赤本が見えます(享保16年(1731)「傾情福引名護屋(けいせいふくびきなごや)」の2代目市川団十郎)

「初午」 鈴木春信

明和5〜6年(1768〜69)頃

東京国立博物館蔵 
Image:TNM Image Archives

初午(はつうま)は旧暦2月の最初の午の日。現在の2月下旬から3月中旬頃にあたります。寺子屋の入学は、この初午の日であったと言われています。

(♪) 子どもたちは、お年玉にもらった赤本を読みながら、桃太郎の鬼退治に胸をおどらせたり、クマやイノシシと相撲をとる金太郎の活躍に夢中になったり、ネズミの嫁入りの華やかな道中姿にあこがれたりしていたのでしょうか。(♪)

六章 庶民教育の普及

「教草女房形気(おしえぐさにょうぼうかたぎ)」(11編の表紙)
山東京山作・歌川豊國(3世)画の合巻

嘉永5年(1852)

鈴木重三氏蔵 無断複製を禁じます

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(♪) もう一つ忘れてはならないことは、江戸庶民の識字率の高さです。経済力を得た商人の師弟を中心にして、女子を含むかなりの数の子どもたちが、民間教育機関であった寺子屋に通っておりました。『寺子短歌』という作品には、その寺子屋の様子が生き生きと描かれております。子どもたちはそこで、「読み書きそろばん」の基本教育を受けておりました。これは世界でも類を見ないことだと言われております。

「商売往来」

18世紀頃

木村八重子氏蔵

商人の子供たちが読み書きを学んだ寺子屋の教科書。

「千字文」

文政2年(1819)

木村八重子氏蔵

中国伝来の初学者用教科書で、重複のない一千文字の韻文から出来ていました。

「寺子短歌」

東京都立中央図書館蔵
無断複製を禁じます

「寺子短歌」

東京都立中央図書館蔵
無断複製を禁じます

(♪) また江戸時代も中期以後になると、江戸は人口100万人の都市になりました。これは当時のロンドンやパリに並ぶ規模ですが、ここに貸本屋が800軒以上もあったということです。草双紙のような庶民向けの出版が盛んに行われたのも、このような教育の普及と、読者層の拡大という背景なしには、考えられなかったことでした。 (♪) 絵本の歴史を振り返るとき、私たちは常に、近代以降の作品に注目してきました。しかし、これまであまり知られることのなかった江戸時代の絵本にも、私たちの興味をひく作品が、数多く残されています。そして、それら草双紙のなかの赤本や豆本のなかには、現在でも読み継がれるべき作品が、たくさんあるのです。 それでは、江戸絵本の新しい魅力をゆっくりとお楽しみください。(♪)

「今様見立 士農工商 職人」 歌川豊國(3世)

安政4年(1857)

鈴木重三氏蔵 無断複製を禁じます

版元の制作風景(人物が女性ばかりなのは、職人を美人に見立てた絵だから)

「今様見立 士農工商 商人」 歌川豊國(3世)

安政4年(1857)

鈴木重三氏蔵 無断複製を禁じます

書物や錦絵を売る店先(人物が女性ばかりなのは、商人を美人に見立てた絵だから)