本文

1) ケイト・グリーナウェイ Kate Greenaway(1846-1901)
ロンドンで生まれる。父親は有能な木版師であったが仕事運に恵まれず、母親は家計を助けるために婦人物の店を開いていた。そんな家庭の事情からケイトは幼少時、母親と姉と共に田舎の親戚のもとに身を寄せたり、母の病気のために知り合いに預けられたりした。幼い頃、両親に読んでもらった「眠れる森の美女」「シンデレラ」「美女と野獣」を好む空想的な子どもだったが、やがて母の店を訪れる気取った親子づれを冷ややかに観察すると同時に、街頭で見かける乞食の子どもや不具者たちを見つめるようになる。また、忙しい母からは聞けない、祖母の “怖いおはなし” とお茶を楽しみ、父親の読んでくれる「青ひげ」に興奮し、物語の中にある真実を感じ取っていくようになる。また当時話題をさらった、インドにおけるセポイの乱の虐殺を報道する絵入り雑誌を読みあさった。読書も残酷な血なまぐさいものに強く惹かれた少女時代のケイトは、引込み思案な不安定な精神状態の中で、次第に、現実にある苦悩、暴力、恐怖と、自分の好むロマンスや空想の世界との大きな隔たりを認識するようになる。
1859年、13歳でフィンスベリー美術学校に入学、6年間在学の後、1873年独立するまでに、サウスケンジントン国立美術学校女子部、ヒザリー校、スレード美術学校で学び、写実主義に徹していた美術教育と、その弊害を是正しようとする自由な個性的アプローチを方針とする最先端の美術教育とを体験した。その間、イラストレーターとして挿絵や雑誌の仕事、ダドレー展やロイヤル・アカデミー展への参加も積極的にこなしている。
独立後、カードデザイナーとしても大きく成功していたケイトは、自分の絵と詩の本をイラストレーターでなく、作家として出版したいと熱望していた。小さなノートに過去の体験から創案された子ども達の姿や、幼少時を過ごしたロールストンの思い出を、子ども時代のうたや詩と共に描きつけていた。そのほとんどがメランコリーな雰囲気を持つものであったが、1877年、父親の友人であったエドマンド・エヴァンスは一目でその作品の成功を信じた。出版主ラウトリッジはケイトの詩の稚拙さに二の足を踏み、予定より一年遅れて1879年「窓の下」という題名のもとに出版された。ジョージ・エリオットに絶賛され、天才的ディレッタントといわれたフレデリック・ロッカーの支援、エヴァンスとのパートナーシップ、そして、ラスキンとの生涯にわたる友情の始まりとなったこの作品は、ヴィクトリア時代の繁栄下にあった一般市民の微妙な不安と詩情を捉え、予想をはるかに上回る成功を収めて、以後ケイトの20年間の活発な創作活動の基盤を築くものとなった。