尚泰
(しょうたい)
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1843年~1901年8月19日 (天保14年7月8日(月日は清暦)~明治34年8月19日) |
画像出典:東恩納寛惇『尚泰侯実録』櫛引成太 大正13 【534-70】 国立国会図書館デジタルコレクション |

明治新政府による廃藩置県(はいはんちけん)で、1871年、28歳のときに琉球王国は鹿児島県の管轄となります。いわゆる「琉球処分」の始まりです。
翌72年には、琉球王国は「琉球藩」とされ、尚泰はその「藩王」と位置付けられます。
1879年には沖縄県が設置され、中国との関係を断つことや、日本年号を使用することなどが命令され、琉球の王国制度が解体されます。
翌72年には、琉球王国は「琉球藩」とされ、尚泰はその「藩王」と位置付けられます。
1879年には沖縄県が設置され、中国との関係を断つことや、日本年号を使用することなどが命令され、琉球の王国制度が解体されます。

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:児童書 | ![]() |
:小説 |
琉球新報社編 新城俊昭[ほか]著『ヒストりゅー : 琉球・沖縄の歴史』
琉球新報社 2012 【Y2-N12-J202】 pp.64-67 「琉球処分」 新城俊昭『琉球・沖縄史 : 沖縄をよく知るための歴史教科書 : ジュニア版』
編集工房東洋企画 2008 【Y2-N08-J197】 pp.165-170 「琉球処分はどのように行われたのか」