三条 実美
(さんじょう さねとみ)
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1837年3月14日~1891年2月18日 (天保8年2月8日~明治24年2月18日) |
画像出典:『近世名士写真. 其1.』近世名士写真頒布会 昭9至10 【427-53】 国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

尊王攘夷派の公卿
父は安政の大獄(あんせいのたいごく) 井伊直弼(いいなおすけ)が行った、
日米修好通商条約の締結や将軍家定の後継者を
めぐる反幕府運動への弾圧のこと。 で謹慎の身で死に、その後継ぎとなりました。父の志を継ぎ、攘夷の計画を遂げようと、尊王攘夷(そんのうじょうい)派の公卿として、岩倉具視(いわくらともみ)らを中心とする公武合体(こうぶがったい)派と対立しながら力を強めていきました。
しかし、1863年、26歳の時、八月十八日の政変で攘夷派が京都から追い出されると、蓑笠(みのかさ)にわらじで長州に落ち延びました。(七卿落ち)
その後、太宰府(だざいふ)に移されました。
注1: | 井伊直弼(いいなおすけ)が行った、 日米修好通商条約の締結や将軍家定の後継者を めぐる反幕府運動への弾圧のこと。 |
最後の太政大臣
1885年に内閣制度ができ、太政官制(だじょうかんせい)が廃止された際の最後の太政大臣(だじょうだいじん)でした。

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小野信二編『学習伝記全集 上』
実業之日本社 1961【児281-O728g】 pp.128-131「三条実美」