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1890年7月、第1回衆議院議員総選挙が行われた。有権者は直接国税15円以上を納める25歳以上の男子。全人口の僅か1%ほどであった。
城数馬『大日本帝国憲法詳解 : 欧米各国対比参照』 共和書店明治22(1889) 【323.3-J56ウ】
第1回衆議院議員総選挙では、第1次山県有朋(やまがたありとも)内閣で農商務大臣を務める陸奥宗光(むつむねみつ)も故郷和歌山より立候補して当選した。
『衆議院議員之証 和歌山県陸奥宗光』明治23 (1890) 【陸奥宗光関係文書108-66】
1890年11月、第1回帝国議会が招集された。300人の議員の過半数が立憲自由党(りっけんじゆうとう)と立憲改進党(りっけんかいしんとう)の「民党」(民権派各党)であった。
衆議院の勢力分野(1890年11月)
第1回帝国議会では、立憲自由党や立憲改進党などの野党と政府が言論の自由や、軍備の削減をめぐり対立した。
工藤武重『帝国議会史綱. 明治編(初期議会-第28議会)』 有斐閣明治41(1908) 【14.3-84】
帝国議会が開設され、近代国会として歩み出した日本だが、有権者は僅かで、女性の参政権がないなど、課題も残った。
今井敬太郎(百花堂)『錦絵(国会議事堂)』明治28 (1895) 【憲政資料室収集文書1298】