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人物編
> 陸奥 宗光(むつ むねみつ)
1844年8月20日~1897年8月24日
(天保15年7月7日~明治30年8月24日)
画像出典:『近世名士写真. 其2.』近世名士写真頒布会
昭9至10 【427-53】
国立国会図書館デジタルコレクション
電子展示会「近代日本人の肖像」
海援隊で活躍
和歌山藩(紀州藩)士の子として生まれます。父は政治の争いに巻き込まれて失脚し、一家は離れ離れになります。
15歳で江戸に出て儒学を学びます。
尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)
に加わるなかで、
坂本竜馬(さかもとりょうま)
と出会い、
勝海舟(かつかいしゅう)
の設立した神戸の海軍操練所(かいぐんそうれんじょ)で学びます。
以後、竜馬の亀山社中(かめやましゃちゅう)、海援隊(かいえんたい)のメンバーとして活躍します。
→ 人物編
:
坂本竜馬
、
勝海舟
→ テーマ解説
:
尊王攘夷運動
条約改正
1868年、24歳のとき、明治新政府の外国事務局御用掛となります。
27歳のとき、和歌山藩の欧州執事としてヨーロッパに向かいます。
1877年
の西南戦争で土佐立志社(とさりっししゃ)による政府転覆の謀に関わり牢に入りますが、1883年に刑期を終えて出獄した後、1884年からヨーロッパに留学します。
その後は、外交官や第2次伊藤内閣の外務大臣として活躍します。
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)
締結から40年後の
1894年
、日英通商航海条約(にちえいつうしょうこうかいじょうやく)を締結し、治外法権(ちがいほうけん)の撤廃という不平等条約の一部改正を成功させます。
→ 史料編
:
日米和親条約
美男?
明治の新聞『毎日電報』明治43(1910)年11月7日には、「西洋婦人の見た日本の美男子」という記事があり、駐米公使の未亡人エレン(米国生まれ)が「私が見た日本男子の中の一番美しい方」だと陸奥を評しています。
→ 国立国会図書館ミニ電子展示「本の万華鏡」
:
第3回「いい男点描」第3章
もっと知りたい!
:児童書
:小説
鎌田和宏監修『教科書に出てくる歴史人物・文化遺産 : ビジュアル大図解 7 (明治・大正・昭和時代) 』
学研教育出版 2012 【Y2-N12-J56】 pp.30-31 「陸奥宗光、小村寿太郎」
高野尚好監修『人物なぞとき日本の歴史 7 (明治時代後期~平成時代)』
小峰書店 2008 【Y2-N08-J105】 pp.6-7 「陸奥宗光」
高野尚好 監修・指導『日本を変えた53人 : 人物日本の歴史 8』
学習研究社 2002 【Y2-N02-56】 pp.8-9 「人物のなぞにせまるQ&A 「陸奥宗光」」