帝国図書館の歴史
- 書籍館から帝国図書館まで
- 「帝国図書館ヲ設立スルノ建議案」
- 帝国図書館の設立
- 帝国図書館設立計画
- 昭和期の増築
- コラム:帝国図書館を利用した著名人
- コラム:帝国図書館の利用風景
- 年表
※キャプションの「旧」は帝国図書館建築時、「現」はコンテンツ作成時(2020年12月)の名称です。
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書籍館から帝国図書館まで
1872(明治5)年、文部省により、日本初の近代的図書館として書籍館が湯島聖堂内に開設されました。この施設が帝国図書館の前身とされています。
書籍館はその後、東京書籍館(湯島)、東京府書籍館(湯島)、東京図書館(湯島、後に上野)と移り変わりましたが、市民の図書館として機能するにとどまり、国立図書館といえる規模には至りませんでした。
「帝国図書館ヲ設立スルノ建議案」
帝国図書館の設立に際しては、東京図書館長・田中稲城による欧米での図書館調査や官民有力者への働きかけなどの多大な尽力がありました。
1896(明治29)年2月10日、第9回帝国議会貴族院本会議に「帝國図書館ヲ設立スルノ建議案」が提出されました。この「建議案」は、帝国図書館が無いことを「国家ノ一大闕点ト謂フヘシ」と嘆き、新たに設立することを要望するものでした。貴族院議員外山正一による趣旨説明は速記録4ページに及ぶ大演説であり「海外ノ図書館ニモ劣ラザル所ノ帝國図書館ヲ建テラレルコトヲ偏ニ希望スル」と締めくくっています。
建議案は2月14日可決され、さらに同年3月25日には衆議院でも可決されました。
帝国図書館の設立
帝国図書館設立計画
1897(明治30)年4月、勅令をもって「帝国図書館官制」が公布され、新しい国立図書館建設は第一歩を踏み出しました。帝国図書館の建築を計画するにあたり、様々な計画案が出されました。文部省は建築を3期に分けて行う予定でした。
第1期工事は1900(明治33)年3月の着工から6年後の1906(明治39)年3月に竣工し、全体計画の4分の1の大きさで帝国図書館が開館しました。全体計画の規模には遠く及ばないものの、東洋一の図書館建築と謳われていました。
開館から23年後の1929(昭和4)年8月に、第2期工事が竣工しました。この増築工事の完成をもってしても、当初の計画の3分の1に過ぎず、その後も書庫の増築などが行われましたが、国の財政難のため、ついに完成することはありませんでした。
(1)
帝国図書館の図『帝国図書館設立案』1896(明治29)年 デジタルコレクション
帝国図書館の建物の設計について、最初に発表されたものであると推定されるのが、この設計図です。
正面2階建て、他の3面を3階建てとして、正面部分には地下室があり、「ロの字型」の中央に建物があって中庭がふたつに分けられています。この時点ではまだ建設用地が決定していないにもかかわらず、簡単な各階の平面図まで書かれています。その後の設計図にも原則的にこの形式が生かされており、設計の下敷きになっていると思われます。
(2)
実施計画案『帝国図書館概覧』1906(明治39)年 デジタルコレクション
「帝国図書館」は明治期の国家的建築の設計を主導したジョサイア・コンドルに師事していた文部省技官、久留正道、真水英夫らにより、「東洋一の図書館」を目指して設計されました。
文部技師の真水英夫は、米国で最新の設備を持つ公共図書館を調査し、シカゴにあるニューベリー図書館をモデルに原案を作成しました。この設計図は、1906(明治39)年に竣工した時に作成された「帝国図書館概覧」に載っていた実施計画案です。
中庭を囲む「ロの字型」で、地上3階、地下1階建て、南側正面に2階へ至る大階段が付いた壮大なエントランスホールがあり、正面の長さは約87.5メートルという広さでした。背面には全面に9層の書庫、正面3階には長大な大閲覧室が配置されています。
(3)帝国図書館平面図
この図は1930(昭和5)年、増築記念に、3枚の絵はがきと共に配布されたものです。明治の『帝国図書館概覧』に掲載された図に、増築部分を書き込んでいます。
(4)その他の平面図
帝国図書館増築平面図(縮尺600分の1)(昭和初期(推定))
「増築」という文字があることと、実施案より規模が大きく、さらに室名が記入されていることから、昭和期の増築の前に考えられた構想図であると思われます。地下1階、地上4階建ての建物で、正面の幅は102メートル、中庭を2分割した「日の字型」で、中庭に面した中央部の4階に講堂をもつ大規模なものです。
台形扇形型
その他、台形や扇形の平面図も案として出されました。いつ頃検討されたものであるかは不明です。
昭和期の増築
年々増加する利用者と蔵書から館内は狭隘をきたしていましたが、関東大震災が起こり市中の図書館が罹災したことによって、帝国図書館の利用者は数倍に達し、入館できない者が出る状況に至りました。この実情を文部省当局も認め、第二期増築工事が行われました。
コラム:帝国図書館を利用した著名人
帝国図書館は、上野図書館の愛称で親しまれました。同館には多くの作家、文学者が訪れており、小説・随筆の中に数多く登場しています。下記の作品の中では、帝国図書館の当時の様子がうかがわれます。
- 「大道寺信輔の半生」芥川龍之介
- 「東京の三十年」田山花袋
- 「ハッサン・カンの妖術」谷崎潤一郎
- 「自叙伝の試み」和辻哲郎
- 「図書館幻想」宮澤賢治
- 「出世」菊池寛
- 「渋江抽齋」森鴎外
歴史を語る資料1

帝国図書館来賓名簿
帝国図書館に来賓として訪れた人々の名前が記載されています。当時の華族や大臣などの来館記録があり、犬養毅の名も見つけることができます。
コラム:帝国図書館の利用風景
帝国図書館が開館すると、早朝から人が押し寄せ、閲覧室はたちまち満員となる盛況ぶりでした。
歴史を語る資料2
帝国図書館時代は「普通閲覧室」と「特別閲覧室」があり、今とはかなり違う閲覧室でした。
現代との違い
- 有料(現在の貨幣価値で100~200円ほど)
- 男性のみ利用可(女性は「婦人閲覧室」を利用)
- 定員制(席数の人数のみ入場可能)

特別閲覧券
帝国図書館にて閲覧室利用時に使用されていました。
当時の図書館の利用は有料でした。この普通一回券は1枚3銭、特別一回券は1枚10銭です。
年表
1872(明治5)年6月 書籍館(文部省博物局所管)、湯島聖堂内に設立
1875(明治8)年4月 東京書籍館(文部省所管)と改称
1877(明治10)年5月 東京府書籍館(東京府所管)と改称
1880(明治13)年7月 東京図書館(文部省所管)と改称
1885(明治18)年6月 東京教育博物館と合併(文部省所管)、上野に移転、名称はそのまま
1889(明治22)年3月 東京図書館官制公布(東京教育博物館と分離)
1897(明治30)年4月 帝国図書館官制公布
1906(明治39)年3月 帝国図書館(文部省所管)完成・開館
1923(大正12)年9月 関東大震災
1929(昭和4)年8月 帝国図書館本館増築工事竣工
1935(昭和10)年12月 帝国図書館構内に図書館講習所竣工



































