和宮/静寛院宮
(かずのみや/せいかんいんのみや)
![]() |
1846年7月3日~1877年9月2日 (弘化3年閏5月10日~明治10年9月2日) |
画像出典:東洋文化協会 編『幕末・明治・大正回顧八十年史 第2輯』東洋文化協会 昭和10年 【210.6-To591b】 国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

将軍徳川家茂に降嫁
しかし、幕府の公武合体(こうぶがったい)策により、1862年、16才で同じ年の第14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)と結婚することになり、京都を離れて江戸城大奥に入ります。
家茂と仲良く暮らし始めた翌年から、家茂はしばしば上洛する(天皇に会うため京都に行く)ことになり、家茂と離れて過ごすことが多くなりました。
病気の家茂が三度目の上洛をした際は、和宮は心配して何度もお参りをし、京都に手紙や贈り物をしますが、1866年、家茂は病死してしまいます。僅か20歳でした。
家茂の死後、和宮の下に、家茂からのお土産の西陣織が届きます。
徳川家の存続を願う
戊辰戦争(ぼしんせんそう)中には朝廷に手紙を送り、天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)と共に、徳川家の存続を訴えました。江戸城開城後は、京都に戻りますが、再び東京で暮らすようになり、1877年、病気のため32歳の若さでその生涯を終えます。

もっと知りたい!
![]() |
:児童書 | ![]() |
:小説 |
平川南[ほか]編 大石学著『Jr.日本の歴史5』
小学館 2011 【Y2-N11-J89】 p.295 コラム「江戸開城と篤姫・和宮」
寺尾美保著 尚古集成館監修『みんなの篤姫』
南方新社 2008 【Y3-N08-J22】篤姫との関わりで和宮についても書かれています。