高杉 晋作
(たかすぎ しんさく)
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1839年9月27日~1867年5月17日 (天保10年8月20日~慶応3年4月14日) |
画像出典:『近世名士写真. 其2.』近世名士写真頒布会 昭9至10 【427-53】 国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

吉田松陰(よしだしょういん)に学ぶ
14歳のときペリーが来航します。本を読んで、外国への脅威を感じ、18歳で藩校明倫館(めいりんかん)に入学するとともに、吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)で学びます。
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西洋諸国の支配に苦しむ清の姿を目にし、攘夷(じょうい)を目指します。帰国後は、攘夷運動に身を投じます。
1863年の長州藩の外国船砲撃事件では、武士だけの軍隊のもろさを知り、階級や身分を超えた町人や農民からも兵隊を集め「奇兵隊」(きへいたい)を作ります。
幕府に従う藩の体制に対してクーデターを起こしますが、奇兵隊はその際にも活躍します。
晋作は肺結核にかかり1867年、28歳で世を去ります。

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宮原武夫監修『日本の歴史』改訂新版(朝日ジュニアブック)
朝日新聞社 2002 【Y2-N02-125】 pp.160-161「高杉晋作は奇兵隊になぜ百姓を採用したのか」ほかにも、Q&A形式で日本史の疑問に答えています。