井伊直弼
(いい なおすけ)
1815年11月29日~1860年3月24日 (文化12年10月29日~万延元年3月3日) |
|
画像出典:岩崎英重『桜田義挙録 : 維新前史. 月』3版 吉川弘文館 1911 【210.58-I935s2-(t)】 国立国会図書館デジタルコレクション |
埋もれ木の生き方
この屋敷の名には、世の中の出世・競争とは離れて、学問・文武の芸に励もうという気持ちが込められています。
藩主から大老へ
直弼が大老になったのは、アメリカが日本との貿易を望み、ハリスを下田に滞在させている時期でした。
直弼は、天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)を締結し、将軍家定の跡継ぎを紀州藩の徳川慶福(とくがわよしとみ)と定め、また、それらに反対した人々を弾圧しました(安政の大獄(あんせいのたいごく))。このため1860年3月24日、江戸城に向かう途中、桜田門のそばで暗殺されました(桜田門外の変(さくらだもんがいのへん))。
茶道の「一期一会」
特に、お茶については熱心に勉強し、『茶湯一会集』という本を著しています。直弼の考える茶の湯は「一期一会」という言葉に表されています。これは、一度の茶会での出会いは一生に一度だけのものだから、心を尽くして出会いのときを大切にしよう、という意味です。
もっと知りたい!
:児童書 | :小説 |
『井伊直弼ってどんな人? 小学生用解説書』
彦根城博物館 2005 【Y3-N05-H55】宮原武夫監修『日本の歴史』改訂新版(朝日ジュニアブック)
朝日新聞社 2002 【Y2-N02-125】 pp.158-159「井伊直弼はなぜ不平等条約を結んだのか」ほかにも、この本ではQ&A形式で日本史の疑問に答えています。