日米修好通商条約

ハリスは、アメリカ大統領の国書を幕府に提出するため、江戸に行くことを何度も要求した。ついに幕府はそれを許し、1857年、ハリスは江戸城に登城し、将軍家定に謁見した。
日米修好通商条約

下総佐倉藩主で老中の堀田正睦(ほったまさよし)は、通商条約を結ぶ許可を孝明天皇(こうめいてんのう)に求めるが、孝明天皇の許しは得られなかった。
日米修好通商条約

貿易が開始されると、国内の繊維産業は輸出による生糸の品不足により打撃を受けた。国内の流通機構は崩れ、米や醤油なども品不足となり、物価は高騰した。金の流出なども発生し、日本経済は混乱した。
日米修好通商条約

幕府はその後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修好通商条約を締結(安政の五か国条約)。