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人物編
> 徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)
1837年10月28日~1913年11月22日
(天保8年9月29日~大正2年11月22日)
画像出典:山陽新報社『開国文化八十年史』山陽新報社
昭和8 【426-17ロ】
国立国会図書館デジタルコレクション
電子展示会「近代日本人の肖像」
将軍後継者
水戸藩主徳川斉昭(とくがわなりあきら)の7番目の男子として生まれました。
兄弟の中でも優秀で、11歳になると一橋家(ひとつばしけ)に養子に入ります。
一橋家は将軍を出す家柄で、慶喜は、13代将軍家定(いえさだ)の後継の候補となりますが、
井伊直弼(いいなおすけ)
の推す徳川慶福(とくがわよしとみ)が14代将軍に選ばれます。慶福は将軍となり徳川家茂(とくがわいえもち)と名のります。
→ 人物編
:
井伊直弼
最後の将軍
1866年、14代将軍家茂の病死を受けて、29歳で15代将軍となります。
将軍となっても、江戸ではなく京都を中心に活動し、有力諸侯と協調を図ろうとします。
しかし、薩摩藩など有力諸藩との対立が広がり、江戸幕府の弱体化が明らかな中、翌
1867年
には、政権を朝廷に返上します(
大政奉還(たいせいほうかん)
)。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)
では、天皇の敵(朝敵)とされ、これ以上の戦いは意味がないと考え、江戸城を新政府軍に明け渡します(江戸城無血開城)。江戸幕府の最後の将軍となりました。
→ テーマ解説
:
大政奉還
、
戊辰戦争
もっと知りたい!
:児童書
:小説
高野尚好監修・指導『日本を変えた53人 : 人物日本の歴史 6 』
学習研究社 2002 【Y2-N02-56】 pp.10-11「徳川慶喜」
宮原武夫 監修『日本の歴史』改訂新版(朝日ジュニアブック)
朝日新聞社 2002 【Y2-N02-125】 pp.164-165「最後の将軍・徳川慶喜は幕府が滅んだ後どうなったのか」
ほかにも、Q&A形式で日本史の疑問に答えています。