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1867年10月3日、土佐藩の前藩主山内豊信(やまうちとよしげ)(容堂)は、15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に、幕府が朝廷に政権を返上する大政奉還(たいせいほうかん)を進言した。
「土佐藩大政奉還建白書写」(三条家文書12-8)慶応3(1867)
1867年10月、薩摩藩・長州藩の間で、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)を追討し、幕府を倒すために、「討幕の密勅」(とうばくのみっちょく)が下された。
文部省維新史料編纂事務局編『維新史料聚芳 乾』 巧芸社昭和11(1936) 【301-142イ】
徳川慶喜は、倒幕の勢いを抑えることができず、1867年10月14日、京都の二条城で大政奉還を表明した。これにより、1603年から続いた江戸幕府は幕を閉じることとなった。
渋沢栄一『徳川慶喜公伝 巻7』 竜門社大正7(1918) 【354-66】
薩摩藩(西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)ら)と長州藩(木戸孝允(きどたかよし)ら)と公家の岩倉具視(いわくらともみ)らにより、1867年12月9日に、天皇による政治に戻る「王政復古の大号令」(おうせいふっこのだいごうれい)が出された。
太政官編『復古記』第一冊 内外書籍昭和4-6 (1929-1931) 【14.9-11】
1867年12月9日、明治天皇(めいじてんのう)の前で行われた会議(小御所会議)では、王政復古を受け、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が官職を辞め、領地を返上する「辞官・納地」(じかん・のうち)が決定した。
中根雪江「丁卯日記」 (『史籍雑纂 ?四』(国書刊行会刊行書) 国書刊行会明治44-大正元 (1911-1912) 【081-Si571-K】 )
世直しを唱える民衆の間で、1867年、天から降るお札を求め「ええじゃないか」とはやし立てて踊り歩く騒ぎが起こった。民衆も新しい社会を求めた。
『〔絵暦貼込帳〕』 寛政4-明治3 (1792- 1870) 【寄別13-64】