勝 海舟
(かつ かいしゅう)
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1823年3月12日~1899年1月19日 (文政6年1月30日~明治32年1月19日) |
画像出典:『近世名士写真. 其2.』近世名士写真頒布会 昭9至10 【427-53】 国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

貧乏な暮らし
結婚してからも貧乏な生活が続きます。
正月に親戚にもらった餅を持って帰る途中、両国橋で風呂敷が破れてしまいます。暗い夜道を、餅を探すものの、大人になっても自立できていない惨めさを感じて、結局、拾った餅を川に投げ込んでしまいます。
咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへ
それが幕府の目付海防掛の目に留まり、1855年には、長崎の海軍伝習所(かいぐんでんしゅうじょ)の生徒として勉強を始めます。
1860年、37歳のときに、初の太平洋横断となる咸臨丸の艦長として、サンフランシスコに向かいます。
坂本竜馬入門
坂本は勝に入門して、世界の情勢などを教わり、その知識の広さに驚き、家族に勝のことを「日本第一の人物」と手紙で紹介しています。
西郷との信頼関係
維新後も明治政府の要職に就き、元老院議官(げんろういんぎかん)や枢密顧問官(すうみつこもんかん)を歴任します。
西郷への信頼は厚く、西南戦争で西郷が亡くなった後、勝は西郷の名誉回復に努めました。そのかいあって、西郷の名誉は回復され、上野公園の銅像設置に至るのです。
勝は「外交の極意(ごくい)は誠心誠意にある」をモットーにしていました。
外交でごまかしは通用しない、真心で相手にぶつかるべきである、という姿勢です。

もっと知りたい!
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:児童書 | ![]() |
:小説 |
プロジェクト新・偉人伝 著作・編集『この人を見よ!歴史をつくった人びと伝 23(勝海舟)』
ポプラ社 2009 【Y3-N10-J8】
高野尚好監修・指導『日本を変えた53人 : 人物日本の歴史6』
学習研究社 2002 【Y2-N02-56】 pp.14-17 「勝海舟」江戸無血開城のようすが書かれています。
勝海舟著 江藤淳 松浦玲編『氷川清話』(講談社学術文庫)
講談社 2000 【GB421-G96】勝海舟の談話を再編集したもの。若い頃貧乏した話や、西郷隆盛などの人物評、明治以後の政治について書かれています。