坂本 竜馬
(さかもと りょうま)
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1836年1月3日~1867年12月10日 (天保6年11月(または10月)15日~慶応3年11月15日) |
画像出典:『近世名士写真. 其2.』近世名士写真頒布会 昭9至10 【427-53】 国立国会図書館デジタルコレクション 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

世界への憧れ
姉の乙女(おとめ)の勧めで剣術を始めると、その才能を発揮し始めます。
18歳で剣術の勉強のため、江戸に留学します。
その頃、ペリーが来航し、藩の命令で品川の警備をしていた竜馬も外国船を見る機会がありました。その大きさに驚き、剣術では外国とは戦えないと思い、西洋式の砲術を習い始めます。
土佐に帰国した際には、絵師河田小龍(かわだしょうりょう)に世界情勢の話を聞きます。河田は、ジョン万次郎(中浜万次郎)の話を本にまとめた人でした。
1862年、27歳で脱藩した後、幕臣勝海舟(かつかいしゅう)を訪ねました。海軍を作り、アジアの国々と連帯する話を聞いた竜馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子になり、神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)の創設のために奔走します。
竜馬の夢
その後、同じ土佐の中岡慎太郎(なかおかしんたろう)と出会い、犬猿の仲の薩摩と長州が手を結び、幕府を倒すという、薩長同盟(さっちょうどうめい)の実現に向けて動き出します。
1865年、薩摩藩の後援のもと、長崎で日本初の会社「亀山社中」(かめやましゃちゅう)を作ります。薩摩の名前で買った船や武器を長州へ運ぶなど、薩長を結び付ける役割も果たしました。
亀山社中は、土佐藩の後藤象二郎(ごとうしょうじろう)を支援者として「海援隊」(かいえんたい)と改名します。
世界を相手に仕事をするのが竜馬の夢でした。大政奉還(たいせいほうかん)後、これからどうするのかと西郷隆盛(さいごうたかもり)に尋ねられ、「世界の海援隊でもやりますか」と答えています。
新婚旅行
寺田屋で竜馬が命を狙われたときに知らせてくれたのもお竜でした。
西郷らに勧められて、薩摩に旅行をしたのが、日本初の新婚旅行と言われています。
竜馬とお竜は霧島で高千穂の峰にも上りました。竜馬はこのときのことをイラストも交えて手紙にして姉の乙女に送っています。
筆まめな竜馬の手紙は、130通以上も残っています。一番多く残っているのが、姉乙女への手紙です。
新婚旅行から戻った竜馬は、長崎で海援隊を率いて活躍します。1867年6月には、長崎から上京する船中で、大政奉還につながる「船中八策」(せんちゅうはっさく)をまとめました。同年11月、中岡慎太郎(なかおかしんたろう)と共に京都で暗殺されました。

もっと知りたい!
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:児童書 | ![]() |
:小説 |
平川南[ほか]編 大石学著『Jr.日本の歴史5』
小学館 2011 【Y2-N11-J89】 p.285 「坂本龍馬の魅力」
プロジェクト新・偉人伝著作・編集『この人を見よ!歴史をつくった人びと伝 14 (坂本龍馬)』
ポプラ社 2009 【Y3-N09-J69】坂本龍馬原著 宮地佐一郎著『龍馬の手紙 : 坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草』(講談社学術文庫)
講談社 2003 【GK124-H18】司馬遼太郎『竜馬がゆく』 1~8 新装版(文春文庫)
文藝春秋 1998 【KH555-G704】