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人物編
> 榎本 武揚(えのもと たけあき)
1836年10月5日~1908年10月26日
(天保7年8月25日~明治41年10月26日)
画像出典:『歴代首相等写真』【憲政資料室収集文書 1142】
電子展示会「近代日本人の肖像」
海軍副総裁
幕臣の子として江戸に生まれ、11歳で昌平坂(しょうへいざか)学問所に学び、アメリカから帰国した
ジョン万次郎(中浜万次郎)
に英語や洋学も習います。
19歳のときに、箱館奉行に仕え、樺太(サハリン)を探険しました。
20歳で長崎海軍伝習所(ながさきかいぐんでんしゅうじょ)に入り、
勝海舟(かつかいしゅう)
らに軍艦の操縦や航海術などを学びます。1862年、26歳のとき、オランダに留学し、5年間で航海術、造船術や国際法を学びます。帰国後は幕府の海軍副総裁となります。
→ 人物編
:
中浜万次郎/ジョン万次郎
、
勝海舟
箱館戦争
1868年
、32歳のとき、
戊辰戦争(ぼしんせんそう)
が始まります。旧幕府軍の敗走で、軍艦開陽丸(かいようまる)で箱館(函館)に向かい、
土方歳三(ひじかたとしぞう)
らと五稜郭(ごりょうかく)に立てもこります。榎本は、箱館に将軍を迎えて北海道を開拓して新しい国を作ろうと考えました。自らは選挙で選ばれ、総裁となりました。しかし、新政府軍の攻撃を受け、降伏します。
→ 人物編
:
土方歳三
→ テーマ解説
:
戊辰戦争
明治政府で活躍
明治新政府では許され、開拓使(かいたくし)長官黒田清隆(くろだきよたか)のもとで北海道開拓に力を尽くします。1874年にはロシア駐在公使となり、翌年、ペテルスブルグでロシアとの間に樺太をロシアの領土とし、千島列島を日本の領土とする
樺太・千島交換条約
を結びます。
もっと知りたい!
:児童書
:小説
古川清行『読む日本の歴史 : 日本をつくった人びとと文化遺産7』
あすなろ書房 2010 【Y2-N10-J110】 pp.112-121 「五稜郭にむすんだ夢」
榎本の戊辰戦争と北海道にかけた夢が紹介されています。