大隈 重信
(おおくま しげのぶ)
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1838年3月11日~1922年1月10日 (天保9年2月16日~大正11年1月10日) |
画像出典:『歴代首相等写真』【憲政資料室収集文書 1142】 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

アメリカ人フルベッキに学ぶ
その後は、藩の蘭学寮で西洋の学問を学び、1864年、26歳のときに長崎に出てアメリカ人宣教師フルベッキに英語やアメリカの憲法などを学び、西洋の思想に大きな影響を受けます。
翌年の1865年には長崎に英学塾「致遠館(ちえんかん)」を作り、フルベッキを校長に招きます。
イギリスをモデルに
その後、大蔵省の次官として、新橋・横浜間の鉄道開通を進め、電信(電報)の仕組みを整備するなど、日本の近代化に努めました。
1881年、イギリスの議院内閣制を手本にした憲法の制定と議会の開設を求め、岩倉具視(いわくらともみ)や伊藤博文(いとうひろぶみ)らと対立し、43歳のとき官僚を辞職します。
翌年の1882年には、イギリスの議会政治をモデルに立憲改進党を作ります。1898年に総理大臣となり、日本初の政党内閣を誕生させました。また1914年に再び総理大臣となりました。
優れた人材を育てるための東京専門学校もつくります。東京専門学校は後に早稲田大学と名を改めました。

もっと知りたい!
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:児童書 | ![]() |
:小説 |
高野尚好監修『人物なぞとき日本の歴史6 (幕末~明治時代前期)』
小峰書店 2008 【Y2-N08-J104】 pp.40-41 「大隈重信」
高野尚好監修・指導『日本を変えた53人 : 人物日本の歴史 7』
学習研究社 2002 【Y2-N02-56】 pp.36-41 「大隈重信」