伊藤 博文
(いとう ひろぶみ)
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1841年10月16日~1909年10月26日 (天保12年9月2日~明治42年10月26日) |
画像出典:『歴代首相等写真』【憲政資料室収集文書 1142】 電子展示会「近代日本人の肖像」 |

松下村塾(しょうかそんじゅく)で学ぶ
萩に移り住み一家で暮らし始めると、寺に読み書きを習いに行きました。父が伊藤家の養子となり、博文も足軽の身分になりました。
1856年、15歳のときに藩命で浦賀の警備につきますが、その翌年には長州に戻り、吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾に入ります。松下村塾では高杉晋作(たかすぎしんさく)らと学びました。18歳のときには、桂小五郎(かつらこごろう)の従者となって江戸に行き、尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)に参加します。
イギリス留学
憲法草案
ヨーロッパで各国の憲法を調べ、ドイツ(プロイセン)の憲法を手本にした憲法草案を作ろうと思い至ります。1885年(44歳のとき)に初代内閣総理大臣となった後、横須賀の夏島の別荘で三か月かけて案を練り、明治天皇(めいじてんのう)も臨席した枢密院(すうみついん)で半年かけて審議しながら仕上げていきました。

もっと知りたい!
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:児童書 | ![]() |
:小説 |
坂本一登監修『伊藤博文』(徹底大研究日本の歴史人物シリーズ14)
ポプラ社 2004 【Y3-N04-H55】
酒寄雅志監修 小西聖一著『伊藤博文 : 明治の国づくりをリードして』(NHKにんげん日本史)
理論社 2004 【Y3-N05-H14】