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国立国会図書館 国際子ども図書館 「調べる・学ぶ・読む」中高生向け

本で調べる東京名所

上野公園

  • 上野公園を描いた錦絵
    『東京名所之内 上野山内一覧之図』1877年(明治10年)
  • 上野公園の写真
    『東京名所写真帖 : Views of Tokyo [1]』1910年(明治43年)

歴史

現在の上野公園のエリア、通称「上野の山」は、江戸時代には東叡山寛永寺の境内で、多くの人が訪れる花見の名所でした。ところが幕末、寛永寺は戊辰戦争の戦場となり、上野の山を主戦場とするこの上野戦争で、多くの建造物が焼け落ちてしまいます。
その後、寛永寺は移転し、上野の山は官有地となります。一時は病院や士官学校を作る計画が持ち上がりますが、1873年(明治6年)の 太政官布達[?] により、芝、浅草、深川、飛鳥山とともに、日本で最初の公園のひとつとして整備されることとなります。1877年(明治10年)、この上野公園で第一回目の内国勧業博覧会が開かれます。この時に「美術館」を名乗る日本で最初の文化施設が作られたのを皮切りに、博物館動物園、図書館と、現在につながる上野の文化施設の礎が次々に完成します。
一方で、上野公園は住民の避難場所としての役割も果たしてきました。1923年(大正12年)の関東大震災の時には、上野公園に50万人もの人々が避難してきたと言われています。そして、太平洋戦争末期、空襲による火災から逃れてきた人々の避難所であったとともに、空襲の犠牲となったたくさんの人々の仮の埋葬所ともなったそうです。

 

現在のみどころ

江戸時代のように春には花見を楽しむことができます。江戸時代から続く貴重な建造物に、清水観音堂、上野東照宮、旧寛永寺五重塔があります。幕末をしのぶモニュメントとして、西郷隆盛像、彰義隊の墓があります。大震災と大空襲の犠牲者をしのぶものとして、時忘れじの塔があります。そのほか、不忍池、上野動物園、東京国立博物館など、現在もたくさんの観光客に親しまれています。

太政官布達(だじょうかんふたつ) 明治初期の政府中枢機関である「太政官」から公布された法令の形式。

 

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