岩倉使節団

サンフランシスコに到着後、1872年2月にはワシントンで大統領と会い、条約改正の交渉に当たる。しかし、国力の差から改正が難しいことを知り、欧米各国の制度・文物の調査研究のための観光に専念した。
使節団の公式記録である『特命全権大使米欧回覧実記』にも岩倉による「観光」の字が見える。
岩倉使節団

使節団は、アメリカの後、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリアなど12か国を訪問して1873年に帰国した。イギリスでビスケット工場を見学した日の記録には、「ビスコイトは二度焼煎餅」の意味だと書かれている。
岩倉使節団

使節団は開催中のウィーン万国博覧会にも立ち寄った。ウィーン万博には、日本パビリオンや日本庭園も出展された。
岩倉使節団

使節団の帰国後、日本は国力の充実に努めることとなる。