第二部 文化の塔
その3 昔話とちりめん本
昔話 翻訳の始まり
日本の子どもの本の先駆けともいえる昔話は、どのように海外へ伝わっていったのだろうか。幕末・明治期に来日したお雇い外国人が紹介したのが始まりともいわれている。イギリスの外交官ミッドフォードが、1871年に「舌切雀」「文福茶釜」など9編の昔話を翻訳したのは(No.176 は再版)、最も古い紹介の一つであるとされている。そして、京都で医学教育を行っていたオーストリアの眼科医ヨンケルは『扶桑茶話』(No.177)の中で31の昔話をドイツ語で紹介し、英語教師ラフカディオ・ハーンは日本各地に伝わる怪談や幽霊話を再話した『怪談』(No.178)を発表した。
博物学者ゴードン・スミスや、チェコの作家ハヴラサも来日して各地を歩き、昔話や伝説を翻訳した。
欧米では日本の文化や風俗への関心も高まった。“Little pictures of Japan”(No.181)は俳句、和歌、伝説、日常行事などを美しい絵とともに紹介した本である。この本には「天女の羽衣」の物語が収められているが、羽衣が鳥の羽でできた西洋のドレス風に描かれているところがおもしろい。
なお、1885年から出版された長谷川弘文社の『日本昔噺』シリーズ、いわゆる「ちりめん本」については、最後にまとめて紹介する。
昔話研究の始まり
昔話は、民俗学などの研究対象でもある。アメリカで出版された“The Yanagita Kunio guide to the Japanese folk tale”(No.183)は、柳田國男(1875~1962)監修の『日本昔話名彙』(No.182, 1948)の英訳書である。柳田は日本民俗学の先駆者であり、『名彙』は、全国から採集した昔話資料を体系的にとりまとめて分類した、日本初の本格的な昔話話型の索引書(タイプインデックス)であった。ついで、関敬吾(1899~1990)による『日本昔話集成』(全6巻, 1950~1958)が刊行される。動物昔話・本格昔話・笑話という関の3分類により、国際的な比較研究の基礎が固められた。No.184の“A type and motif index of Japanese folk-literature ”は、関の『集成』を土台に英訳され、1971年フィンランドで出版されたものである。柳田と関の2大インデックスの英訳書は、昔話の国際的な比較研究の流れに求められて刊行されたといえる。
桃太郎の冒険
“Aventures de Momotaro”『桃太郎鬼退治物語』(No.185)は、フランスの健康食品会社フォスファティンヌ・ファリエール社が、子ども用食品「フォスファティンヌ」の宣伝のために制作した絵本である。お爺さんとお婆さんに「健康と力が得られるフォスファティンヌ」で育てられた桃太郎が、そのおかげで鬼退治に成功し、最後はフォスファティンヌを手に全員で乾杯して終わる、という物語である。前書きには「フォスファティンヌのおかげで桃太郎のようになれる」と書かれている。訳述のジュディット・ゴーチエは中国や日本を題材にした作品の多い文学者である。挿絵を描いた諌山扇城はパリに渡った日本人画家と思われる。アールヌーボー風のデザインと日本的な挿絵が組み合わされている。
「桃太郎」の物語は、19世紀末には「ちりめん本」(後出)でヨーロッパに紹介されていた。また、巖谷小波が1894年に書いた『日本昔噺』のうち「桃太郎」を含めた12編が、1904年には英訳された。19世紀後半から広まったジャポニズムの影響もあり、日本の誰もが知っている昔話の主人公「桃太郎」は、ヨーロッパでも意外に早いうちから知られていたのかもしれない。
フランスで活躍した日本人画家による昔話
1910年代にフランスに渡り、その後フランスで活躍した二人の日本人画家が、日本の昔話に挿絵をつけた作品をフランスで出版していた。
“Légendes japonaises”『日本の伝説』(No.187)は洋画家藤田嗣治(1886~1968)が神話や伝説、昔話をフランス語に翻訳し、挿絵を描いた日本の伝説集である。
フランスで最も権威のある文学賞、ゴンクール賞を受けた作家クロード・ファレールが序文を書いている。13の物語が「水」、「土」、「空」、「火」のジャンルに分けられ、「水」には「浦島」、「土」には「養老の滝」、「空」には「羽衣」、「火」には「草薙の剣」などが収められている。
版画家の長谷川潔(1891~1980)は『竹取物語』の挿絵を制作した(No.188)。物語は駐仏外交官本野盛一が翻訳した。本野は先行の何冊かの翻訳本を参考にしたと巻頭言で述べている。長谷川はタイトル画、口絵も含めて47点の版画を手がけている。日本から江戸時代の木版本『絵入り竹とり物語』を取り寄せ、参考にしたらしい。
この二人の作品の出版は偶然ではなく、著名な画家による挿絵本ブームを迎え、日本関係の出版が急増していた、1920年代のパリの時代状況が影響しているようである。
翻訳された日本の昔話絵本
日本の作家が昔話を題材に制作した絵本が海外で翻訳される例も多い。これは日本の昔話というよりも、作家の優れた作品として受け入れられているともいえよう。また、昔話は子どもの文学の中で大切な存在と考えられている国が多いこととも関係があるかもしれない。
1960年代に日本の絵本が海外へ進出していったのと同時に、赤羽末吉やいわさきちひろの絵によって、アメリカやドイツでは昔話の絵本も出版されていった。秋野不矩の絵が美しい『いっすんぼうし』(No.192)も、1967年という早い時期にアメリカで出版された。
『ふしぎなたいこ』は「鼻高扇」、「京の蛙、大阪の蛙」と合わせて3話が収められている絵本だが、No.191(アラビア語版)は、日本で広く愛読されていながら海外で知られる機会の少ない作品を、アラビア語圏の人々に紹介するための事業として、国際交流基金がエジプトの出版社と共同出版した例である。
歴史的な背景からアジア地域では日本の昔話はあまり出版されない傾向があったが、近年はNo.190やNo.193のように、絵本として受け入れられるようになってきた。これも日本の絵本作家の力によるところが大きいと思われる。
海外の作家が描いた美しい昔話絵本たち
No.194「三年寝太郎」を描いたアレン・セイは、横浜生まれの日系アメリカ人作家。この作品で1989年にコルデコット賞銀賞を受賞した。日本の風俗を描いた表情豊かな絵は緻密で狂いがなく、日本語訳された絵本も多い。No.195はアメリカの絵本のデンマーク語訳で、動物が穴熊である点などが欧米風である。トミー・デ・パオラは、コルデコット賞銀賞を受賞したアメリカの人気絵本作家で、彼のユーモアあふれる温かい絵とともに、アメリカからさらにデンマークへと渡った楽しい昔話風絵本である。
No.196はフランスの昔話絵本シリーズの中の一冊「浦島太郎」である。表現が抽象化され、体裁もアコーディオン状で珍しい。ストーリーも若干変化している。No.197は日本語とイタリア語が併記された「浦島太郎」。作者のダビデ・ロンガレッティと田隅真由子の夫妻は、ミラノ在住のクリエーターで、イラストとクレイの立体が融合した独特の絵本である。2007年のボローニャ国際絵本原画展に入選し、2009年に出版となった。このように様々な表現を試みる際に、日本の昔話が素材となったことは興味深い。
※コルデコット賞
19世紀のイギリスを代表する画家、ランドルフ・コルデコットの名にちなみ、1938年に創設された賞。英語で書かれ、前年にアメリカで出版された絵本の中で最も優れた作品の画家に贈られる。
様々に受け入れられ、変化した昔話
近年、日本の昔話は様々な国や地域、言語によって出版されるようになってきた。しかし中には挿絵の風俗がなんとなくおかしいもの、筋が大幅に変わってしまっているものなどもある。
No.199 は「こぶとり爺さん」など10話が収録されたロシアの本で、挿絵画家マイ・ミトゥーリッチによる墨絵のような挿絵が美しい。バングラデシュで出されたNo.201には、「花咲爺さん」「はちかつぎ姫」「かちかち山」など5話が収められている。インドで出版されたNo.198には「雪女」、「魔法の下駄」、「三枚のお札」が収録されているが、挿絵の風俗は日本とも中国ともはっきりしない。No.200はコロンビアで出版された本で、挿絵には現代日本のアニメの影響がうかがえ、登場人物は時代と国を超えたキャラクターに描かれている。「かぐや姫」や「三年寝太郎」など七つの話が収められているが、「ぶんぶく茶釜」らしい話は「しんべいとアライグマ」というタイトルになっている。
No.202には中国風な「ぶんぶく茶釜」、歌舞伎の助六のようなスサノオノミコトが登場する「やまたのおろち」、乙姫様が花魁風な「浦島太郎」などが収録されている。No.203の“The crane wife ”は「鶴の恩返し」に似ているが、鶴を助けた主人公は貧しい帆船職人のオサムで、鶴の化身の女はユキコという名前である。ユキコはオサムのために船の帆布を織る。登場人物や風景の描写は大和絵の世界を思わせる。“Tasty baby belly buttons ”(No.204)は、ウリコヒメがきび団子を持って犬・猿・雉をお供に鬼退治に行き、さらわれた赤ん坊たちを救出するという桃太郎のような物語である。
このような翻案や勘違いは何も海外だけで起こった現象ではない。明治時代にグリムやアンデルセンの童話が日本の子どものために翻訳された時には、登場人物は日本風な名前になり、日本家屋や着物姿の挿絵が描かれた。No.205の挿絵は「おやゆび姫」である。異文化を紹介するのは、いつの時代のどこの国でも難しいことなのである。
ちりめん本
ちりめん本とは、挿絵と外国語の文章を木版印刷した平らな和紙を、ちりめん状に加工して和とじにした書物のことである。長谷川武次郎(弘文社)が明治18(1885)年から刊行した「日本昔噺」シリーズが始まりとされ、昭和初期にかけて出版された。
内容は主に「桃太郎」(No.206、No.215、No.218)、「舌切雀」(No.207)、「花咲爺」(No.208)などの日本の昔話、あるいは伝説や日本の様子を紹介したもので、英語を始め、フランス語、ドイツ語、スペイン語など様々な言語で発行された。文章を担当したのは、宣教師、教師、軍人、大使館職員等として来日した外国人たちだった。ラフカディオ・ハーンが文章を手掛けた作品(No.214)もあった。挿絵は、「日本昔噺」シリーズのほとんどを手掛けた小林永濯や鈴木華邨といった画家が担当したが、画家名が記載されていない本も多い。
西洋人向けの土産あるいは日本の美術工芸品として輸出され、人気を博した。早い時期に海外へ日本の昔話や文化を紹介した役割の大きさが指摘されている。
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