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題名:楽園の物語
原題:Die Märchen Vom Paradies
作画者:クルト・シュヴィッタース、ケーテ・シュタイニッツ作
版元:Apossverlag; Hannover
刊行年:1924年
ページ数:32ページ
判型:273x210 mm
著作物使用許諾/シュタイニッツ ファミリーアート コレクション
Reproduced by permission of The Steintz Family Art Collection. www.katesteinitz.com
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楽園の物語
楽園の物語の表紙
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楽園の物語。クルト・シュヴィッタース、ケーテ・シュタイニッツ作 (♪)
楽園の物語
楽園の物語 1ページ
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雄鶏ペーター。ある日、ハーネマンは卵を一つ、見つけました。けれどもそれはちゃんとした卵ではなく、一方がまるくなくて、ぺちゃんこでした。そのぺちゃんこのほうを下にして立っていたのです。おじさんは、「これは鶏の卵でも、鵞鳥の卵でもなく、雄鶏の卵だ、正真正銘の雄鶏ペーターの卵だ。このような卵を孵すには、あたたかいストーブの後ろに十三日間おかなければならない」といいました。お母さんは、ほんとうに雄鶏ペーターが出てきたらどうなるかしら? と、ちょっと心配でした。
楽園の物語
楽園の物語 2-3ページ
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(♪) ハーネマンは卵を缶に入れて、朝と夕方、人差し指でさわってみました。そして、朝と夕方、この卵を見つけた牧場から、あたらしい草をはこんでやりました。やがて、卵から雄鶏ペーターが這い出てくる日がやってきました。卵はもうすっかりあたたまっています。
(♪) ついにその日、ハーネマンは缶から卵をとりだして、そうっと自分のエプロンにくるみ、そのままあたたかいストーブのそばにすわりました。ふいに、カチッと音がしました。大人がワインを飲むときにグラスをあわせるような音です。卵から雄鶏ペーターが出てきて、すぐに、こんにちは! といいました。
楽園の物語
楽園の物語 4-5ページ
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(♪) ハーネマンはびっくりして、なんといえばいいかわからなかったので、卵の殻をとって捨てようとおもいました。けれども、殻はもうありませんでした。そこで雄鶏ペーターをそうっと机の上にのせようとおもったのですが、もう、一本足で立っていました。雄鶏ペーターの足は一本しかなく、それは独楽のような足だったのです。
(♪) そこでハーネマンはいいました。こいつ、きっと卵を産むだろう。そうすれば、雄鶏ペーターの大家族ができる。けれどもお母さんは、そんなこと、なんの意味もない、といいました。ふいにハーネマンは、雄鶏ペーターは「クラ」ができるんだ、と気がつきました。つまり、雄鶏ペーターの喉の下にある肉垂れをくすぐってやれば、クラ-クラ-! というのです。そこへ子どもたちがやってきました。みんなは一人ひとり麦わらで喉の下の肉垂れをくすぐって、「クラ、クラ」と言わせました。雄鶏ペーターは笑いころげて、「クラ、クラ、クラ、クラ、クラ、クラ、クラ、クラ」と言いつづけました。
楽園の物語
楽園の物語 6-7ページ
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(♪) 子どもたちの一人が雄鶏ペーターの肉垂れを裏がわからくすぐりました。すると、とつぜん、雄鶏ペーターが草色になり、ものすごい叫び声をあげ、ちょっと空中に跳びあがったかとおもうと、黒い卵を一つ産みました。そこで、みんなが裏がわからくすぐりました。子どもたちは十三人いたので、十三個の卵が産まれたというわけです。そのとき、子どもたちは、雄鶏ペーターがお尻にほんとうのねじをもっているのを見つけました。そこには、ほんとうのプロペラもついていました。
(♪) それで、ハーネマンは、お母さんに、どんなぐあいにまわすのかを尋ねてから、そのねじを三回まわしました。お母さんは、このように右まわりにまわすのだといいました。ハーネマンが三回まわすと、雄鶏ペーターは古典バレエのように踊りました。
楽園の物語
楽園の物語 8-9ページ
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(♪) そこでハーネマンもくるくると六回まわりました。ハーネマンが六回まわると、雄鶏ペーターはまた踊りました。ちょっと空中に上がりながら、ハーネマンは今度は九回まわりました。ハーネマンが九回まわると、雄鶏ペーターはものすごく高く飛んで、お父さんがヴァイオリンを奏でるときのように歌いました。ハーネマンは今度は十三回まわると、雄鶏ペーターは高く高くとんで、速く、ものすごく速く、もっと遠くへ飛んで、お父さんがヴァイオリンを奏でるよりずっとずっと上手に歌いました。そして、高く高く飛んでふたたび降りてくることはありませんでした。
(♪) 子どもたちは雄鶏ペーターのあとをずっと見送り、それからおたがいに顔を見合わせて、悲しそうな、驚いた顔をしました。びっくりして笑うものもいました。ハーネマンは、泣いてしまいました。けれども雄鶏ペーターはもうもどってきませんでした。そこへお母さんがやってきて、起こったことのすべてを聞くと、雄鶏ペーターが産んだ卵はまだたくさんあるのだから、と子どもたちを慰めました。そして、卵を一つずつくれました。その卵は、雄鶏ペーターが入っていたのとほとんど同じ卵でした。
楽園の物語
楽園の物語 10-11ページ
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(♪) 極楽鳥。ハーネマンが雄鶏ペーターの残した卵の一つを孵すと、極楽鳥が生まれました。それは花によく似た鳥で、尾羽根がとてつもなく長いので、地面に坐ることができず、常に飛んでいなければならない鳥で、ハーネマンの手から餌を食べ、ハーネマンといっしょに散歩しました。ところがあるとき、極楽鳥は小さな島へ飛んでいってしまいました。そこはアダムとイヴのほか、生きている人間は一人も住んでいない楽園でした。そこで極楽鳥は一本のりんごの木に止まり、ハーネマンのことなど忘れてしまったのでした。ハーネマンは悲しくてたまらず、凧を作り、極楽鳥のような尾をつけて、それにつかまって空中にあがりました。
(♪) ハーネマンは高く高くあがり、山を越え、海を渡り、ついに見知らぬ島に降り立ちました。動物がいっぱいいましたが、たがいに食いあうのではなく、みな友だちでした。この島があの楽園なんだ、とハーネマンは気がつきました。ふいに、ハーネマンは、象とヒトコブラクダのあいだを、あの極楽鳥が飛んでいるのを見つけました。極楽鳥はここが自分の家のようにふるまい、ハーネマンにチョコレートがどこにあるか、といったことなどを教えてくれました。食べ物だけでなく、ブランコも、魔法使いも、ラジオも、地下鉄も、ハイウェイも、赤い自動車も、なんでも尽きることなくありました。
楽園の物語
楽園の物語 12-13ページ
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(♪) と、ふいに、あのなつかしい雄鶏ペーターがやってきました。そして、おお、なんと、右側にはあの有名な馬学者と調教師、左側にはざんばら髪のアルフレッドがいるではありませんか。ざんばら髪が、馬の調教を見にいきたくないか、と尋ねました。もちろん! すると、鞍を置いた馬が駆けてきて調教師たちがそれにまたがりました。やがて乗馬教師がやってきて、ハーネマンに乗馬を習いたいかどうか、尋ねました。ハーネマンは、もちろん、と答えました。
(♪) ハーネマンは、小さなロバにまたがりました。立派な馬に堂々と背筋を伸ばしてまたがっている教師の傍らで、なんとも不恰好なことでしたが、ハーネマンは乗れるだけでうれしかったのです。けれども、ハーネマンが前に進もうとすると、ロバはとつぜん棒立ちになりました。鞭を当てると、振り落とそうとします。動物を調教するのに鞭はだめだ、やさしく話しかけるか、砂糖のひとかけらをやるかしなければいけないよ、と教えられました。
楽園の物語
楽園の物語 14-15ページ
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(♪) しかし、ロバはもういうことをきかなくなってしまいました。ハーネマンははげしく泣いて、家に帰りたいといいましたが、そんなに簡単に帰れるものではないと諭されました。ハーネマンは書くことが上手なざんばら髪にたのんで、長い手紙を書いてもらいました。「愛するママ! ぼくがいなくなって、もうママのことなんて忘れたのではとおもっているでしょう。そうじゃないんだよ。帰りたいんだけど、ぼくは今、楽園の島にいるし、ぼくをここへつれてきた凧は海におっこちてしまったんだ。ここには雄鶏ペーターがいる。彼はもともとここのものだからだ。極楽鳥もいる。その極楽鳥を郵便鳥にするんだよ。それから、ざんばら髪のおじさんもいる。この手紙を書いてもらっているおじさんだ。
(♪) だけどね、ここへはいっぺん来たら、もう帰れはしないんだ。家にとどまっているか、それとも楽園にいるか、どちらかなんだって。ママも手紙を書いてよ。だって、ぼく、帰れないんだから。そして、この極楽鳥にことづけておくれ。ママのハーネマンより」お母さんが台所で仕事をしていると、窓を極楽鳥がノックしました。お母さんは、泣いて喜びましたが、やがてとても悲しくなりました。楽園へは喜んで行きたいとおもうけれど、お父さんを残しては行けません。お母さんはとにかくハーネマンが生きていたことを喜び、それに、楽園で仲良しの乗馬教師やざんばら髪のおじさんといっしょであることを喜んで、長い手紙を書きました。
楽園の物語
楽園の物語 16-17ページ
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(♪) お母さんの手紙には、「ご飯のまえには必ず手を洗うんですよ」とか、「お天気が悪いときには忘れずにオーバーを着てゴム靴をはくんですよ」などと書いてありました。それからは、極楽鳥は八日ごとに飛んで、手紙を運びました。そして、いつのまにかハーネマンは乗馬をおぼえました。
(♪) 牧場の楽園。ハーネマンの手紙の話を聞いた子どもたちは、みんな楽園へ行きたくなりました。そして、お母さんに、どうやってハーネマンが楽園へ行ったのか、尋ねました。けれども雄鶏ペーターの卵から極楽鳥を孵したものは、結局みんな死ななければならないということを聞いた子どもたちは、とても悲しくなって卵をもって家に帰りました。やがて、エルンストという一人の少年が、楽園はそんなに遠くはないはずだから、極楽鳥なしでも行けるのではないかと思いたちました。みんなも行きたがりましたが、エルンストは自分のお母さんとエルゼというリボンをいっぱいくっつけた好きな女の子と、三人だけで行くことにしました。
楽園の物語
楽園の物語 18-19ページ
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(♪) エルンストは、楽園はすぐ近くにあるはずだからと家のそばの野道をおり、牧場の柵のところで、「ここが楽園への入り口だ」といいました。お母さんが「ここは牛の牧場への入り口よ」といいましたが、エルンストは「そう見えるだけなんだ」といって、中に入っていきました。
「ほら、ぼくたち、もう楽園のまんなかにいるよ。見てごらん、空を。あれは金だよ」エルンストはそういいました。エルゼが牛の糞を踏めば、それは楽園の蜂蜜プリンだというし、向こうから牛がやってくれば、ほら乗馬用の馬が来た。農夫がやってくるのを見れば、あれはハーネマンの手紙にあった楽園のおじさんだというしまつです。
楽園の物語
楽園の物語 20-21ページ
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(♪) お母さんは「あの農夫は私たちに向かってやってくる、何をされるかわからないわ」といいましたが、エルンストは「そうじゃない、馬の調教だ」といってききません。そのうちお母さんも牛の糞を踏んでしまい、「ここは絶対に楽園ではないわ」といいましたが、エルンストは承知しません。エルゼも「あの男が手にもっているのは調教棒ではなく、牛を追い立てる鞭よ」といいました。
(♪) エルンストが近寄ってくるのを見た牛の一頭が、スペインの闘牛のように尻尾をピンと立て、頭を低くし、角を立てて、モーッとうなりながら突っ込んできました。エルンストは慌てふためいて一目散に逃げ、楽園の門から外へ出ました。そして牛のほうに振り返って、いいました。「ぼくたち、ただ楽園ごっこをしていただけなんだよ。おまえは乗馬用の馬なんかじゃないってこと、知ってるさ」
楽園の物語
楽園の物語 22-23ページ
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(♪) 突進してきた牛は柵の中でエルンストを追って走り、エルンストが急カーブをきったので、曲がれなくなって、どしんと倒れました。そのときになってエルンストはお母さんとエルゼがまだ楽園の中にいるのに気がつき、外から懸命に叫びました。「そこは楽園なんかじゃない。ぼく、まちがえていた。早く出ておいで!」すると、お母さんが中から叫びました。「そうじゃないわよ。ここは楽園よ。あなた、まちがえていたんじゃないわ。ほら、調教師が調教棒をもってやってくるじゃないの。あなたも早く入っていらっしゃい!」
(♪)「お母さん、見えないのかい? そこにいるのはお百姓だよ。お百姓が鞭をもっているんじゃないか!」「あら、でも、ほら、ざんばら髪のおじさんも来るわ」「ちがうよ。下働きの男だよ。ぼくがもうちょっとでやられそうになった牛に口駕篭をはめようとしてやってきたんだよ。ああ、たいへんだ。心配で、ぼく、もう死にそうだ!」それを聞くと、お母さんたちもやっとのことで出てきました。そして、「楽園から出るのは残念だったけれど、あなたが心配するから出てきたのよ」といい、さらにいいました。「いっぺん嘘をついた人のいうことは、たとえほんとうのことをいっていても、もう信じないものよ」
楽園の物語
楽園の物語 24-25ページ
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(♪)「ぼく、嘘をついたんじゃないよ。思い違いをしていただけだ」エルゼの怒ること怒ること。「ダメーッ! 嘘ついた! だました! 牛のしっぽを引っ張った!」ところが、そこへ一匹の蚊が飛んできて、エルゼのうなじを刺しました。
(♪) お母さんが蚊を叩こうとすると、エルンストはいいました。「待って。ぼく、もう嘘はつかない。その蚊は楽園からやってきたってことが、ぼくにははっきりわかるんだ。だから雄鶏ペーターの卵を孵すことができるかもしれない」エルンストがあまりにもきっぱりとそういうので、エルゼは痛みを忘れました。そこで三人はそのままそうっと家に帰りました。蚊はエルゼのうなじを刺したまま、血を吸いつづけていました。エルンストが雄鶏ペーターの卵をもってくると、たちまち蚊はそれにとりつきました。エルンストは、卵を窓辺においてやりました。
楽園の物語
楽園の物語 26-27ページ
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(♪) それから十三日間、エルンストが蚊のそばに手をかざしてやると、蚊はエルンストを刺して血をたっぷり吸い、ただちに卵のところにもどってせっせと孵そうとしました。子どもたちがおおぜい集まり眺めるなか、ついに卵がカチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、と音を立て、粉々になりました。そして、蚊は死にました。卵からは無数の蚊が飛び出してきました。蚊は一匹一匹、電球のような赤い光る頭をもっていて、文字になったりいろいろな人の顔になったりしながら、やがて飛行機になりました。
(♪) エルンストが乗り込むと、蚊の飛行機はただちに窓から飛び出し、子どもたちが手を振って見送るなか、あの牛の牧場を越えて飛び、とうとうほんとうの楽園へ行ってしまいました。楽園に着くと、すぐに調教師が飛行機からおろしてくれました。エルンストがおりたつと、飛行機はばらばらになり、蚊は飛び散っていきました。みんなに紹介され、やがて、エルンストは、自分のふるさとにも楽園があることを話し始めました。「家のそばの野道を歩いていくと、楽園への入り口があって‥‥」ざんばら髪のおじさんの顔がこわくなったとおもうと、叫びました。「嘘をついている!」
楽園の物語
楽園の物語 28-29ページ
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(♪)「ちゃんと見えるぞ、嘘をついてるのが」「見えるって?」エルンストはこわごわ尋ねました。「楽園では嘘をつくと、その人から煙が出るんだ‥‥」楽園ではこうして悪いことをすると自らをただちに罰するという結果になるのです。だから、ここでは悪事が行われることは、めったにありません。
(♪)「ちょっと冗談をいっただけさ。ほんとうは汚い牛の牧場なんだ。そこでは乗馬用の馬が‥‥」たちまち煙が出始めました。「いや、その、牛が、学校へ行っていて‥‥」また煙。ざんばら髪のおじさんが見えなくなったほどの、すごい煙でした。煙がすこしおさまってきたところへ、ハーネマンがやってきました。握手して、エルンストがやってきたことに大喜びです。どうやって来たのかと、尋ねました。
楽園の物語
楽園の物語 30-31ページ
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(♪)「かんたんさ。蚊がつれてきてくれたんだ」そういってあたりを見回しましたが、煙は立っていません。そこへ蚊たちが舞い戻ってきて、ビスマルクなどBで始まる名前の人の顔になりました。それから、さまざまな形に変わりました。
(♪) ハーネマンは、長い手紙をお母さんにあてて書きました。「楽園でもこんなにたのしいことは初めてです。子どもたちみんなに、ここへ来るよう伝えてください。とくに雄鶏ペーターの卵をもっているものは、みんな楽園へ来るといいよって、伝えてください」と。

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楽園の物語
楽園の物語 32ページ
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楽園の物語
楽園の物語の裏表紙
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作家について 1/4

クルト・シュヴィッタース(1887–1948)
ケーテ・シュタイニッツ(1889–1975)作\

 クルト・シュヴィッタースは1887年にドイツのハノーヴァーに生まれる。
 ハノーヴァーの美術工芸学校で学んだ後、1909年から1914年までドレスデンとベルリンのアカデミーで学ぶ。第一次大戦では兵役をハノーヴァーの兵営事務室で終え、終戦まで製鉄所の機械製図工として働く。1920年ハノーヴァーで建築学を学ぶ。

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作家について 2/4

 表現主義やキュビズムに依存していたシュヴィッタースであったが、1918年に「すべての価値は、相互関係によって成り立ち、題材に対するあらゆる制限は、一面的で狭量だ」と述べて、やがて、この見解から、考え見つけうるあらゆる題材を芸術的に配置する、いわゆるメルツ芸術(Merzkunst)が生まれた。(Merzという言葉は、彼の最初のメルツ作品となった“コラージュされた断片Kommerzbank”から取ったものである。)1918年から展覧会が開かれ、1919年から文学作品の出版も始める。「楽園の物語」を出版したアポス出版は、彼が児童文学のために自ら設立した出版社であった。1920年には最初のメルツ建築を手がける。1921年、ラウール・ハウスマン(Raoul Hausmann)に刺激された音響詩「原ソナタUrsonate」が誕生する。

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作家について 3/4

 シュヴィッタースとダダイズムの関係は明確でないが、シュヴィッタースは芸術を政治に結びつける意志がなかったので、ベルリンのダダイストたちから拒絶されていた。しかし、他のダダイストたち、ハンス・アルプ(Hans Arp)、テオ・ファン・ドウースブルグ(Theo van Doesburg)、トリスタン・ツァラ(Tristan Tzara)とは一緒に仕事をして、ダダの宣伝をしている。
 1930年から、シュヴィッタースはしばしばノールウェイに旅行していたが1937年に移住した。彼の造形作品は、ナチスによって「退廃芸術」というレッテルをはられ、文学作品は焚書された。ドイツ軍のノールウェイ侵略のため息子とともにイギリス亡命。亡くなるまで風景画、肖像画で生活の糧を得た。

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作家について 4/4

 芸術の境界を広げることを切望していたので、彼の作品はジャンル分けされて批評されることはない。彼の子どもの本があまり知られなかった原因もそこにあるかもしれない。すべての素材、馴染みのあるものもないものも、メルツ化することが、彼の“ものがたり”の目的であった。シュヴィッタースは、子どもにはこれらの要素を満載した物語りや絵が通じるという信念があったのかもしれない。「楽園の物語」は、彼の創作信念がそのまま投影した、モダニズムの時代の芸術家の子どものための貴重な作品である。

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