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書誌

題名:米 (小學科學繪本 第十一巻)
作画者:農学博士 鈴木文助編 夏川八郎(柳瀬正夢)絵
版元:東京社 コドモノクニ版
刊行年:1937年(昭和12年)
ページ数:32ページ
判型:210x195 mm
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米のカバー
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(♪) 米。小学科学絵本 第11巻。農学博士・鈴木文助編。夏川八郎絵。これは、柳瀬正夢の変名です。

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米の表紙
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4ページには朗読はありません

米の見返し
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米 1-2ページ
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(♪) <米のつぶやき> 一粒の米のつぶやきから、このお話は始まります。米と人間との長い歴史を紹介しながら、米を作ることの大変さ、主食である米の大切さ、病虫害とのたたかい、さまざまな用途などが語られてゆきます。文章に旧字・旧かなが使われていること、また日本の国土に朝鮮や台湾が含まれていることは、この絵本が作られた昭和12年という時代を考えなければなりません。そのことは、後でも触れる機会があると思います。
米 3-4ページ
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(♪) <大切な米> 画面には、昭和十年代の食卓風景が描かれています。子どもたちも、たくさんご飯を食べていますね。このように、米は日本人の主食であると同時に、アジアの広い地域において、大切な食料になっています。世界の半数以上の人が、米を食べて生きているのです。ではこの大切な米は、どのようにして作られるのでしょうか。ここからお話は、稲の歴史や栽培方法について、語られてゆきます。
米 5-6ページ
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(♪) <稲の始まり> この見開きと次の見開きでは、稲の歴史が紹介されています。稲の原産地はアジアの南部、インドなどの熱帯地方といわれていて、初めは川や沼に、自然に生えていたものでした。画面では、沼地に生えている稲を刈り取って、それを槌(つち)でたたいて、脱穀している様子が描かれています。
米 7-8ページ
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(♪) <稲にまつわる伝説> インドには稲の始まりについて、次のような伝説があります。昔むかし、天上でたのしく暮らしている兄妹がありました。ある日、遠くまで遊びに出かけたところ、とつぜん黒雲に巻き込まれて、翼を傷めてしまい、地上に落ちてしまいました。お腹のすいた二人は、沼に生えている草の実をとって食べました。しかし天上の者が下界のものを食べると、飛ぶ力を失ってしまうのです。この兄妹が食べた草の実が稲で、とどまったところがインドだった、というのです。この画面でも、沼から刈り取った稲の束を、臼(うす)と槌を使って脱穀している様子が描かれています。
米 9-10ページ
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(♪) <わが国の稲> ここでは日本の稲の歴史について、天照大神(あまてらすおおみかみ)が地上に降臨して、粟(あわ)や稗(ひえ)、麦などといっしょに広めた、と神話をかりて説明しています。実際には、縄文時代後期から弥生時代にかけて、大陸や南方諸島を経て伝えられた稲の栽培は、かなり広い地域で行われていたようです。日本の美称として「豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに)」という言葉が生まれたのも、稲を大切に扱ってきた長い歴史が感じられます。
米 11-12ページ
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(♪) <稲作> ここからの3つの見開きは、水田づくりから収穫までのお話です。お百姓さんの野良着姿(のらぎすがた)や、農機具があまり使われていないことはありますが、一年を通しての農作業は、現在とあまり変わりがありません。右のページは、稲の苗を育てている苗代(なわしろ)です。苗取りをしているお母さんに、子どもがお茶を運んできたところです。このように農作業の忙しいときは、子どももお手伝いをしたものでした。左ページの上は、田んぼに水を入れて田づくりをしているところ。その下では、早くも田植えが始まっています。
米 13-14ページ
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(♪) <農作業の順番> 前ページに続いて農作業の順番が説明されています。土を耕して、肥料をほどこして、田んぼに水を入れます。稲の苗は苗代で作って、それが数センチの長さに伸びたところで、田んぼに植えかえます。これが田植えです。田植えはだいたい梅雨のころに行います。夏になると、水を切らさないための見回りや、炎天下の草取りなど、つらくて大変な仕事が続きます。こうして稲は日ごとに伸びていって、夏の終わり頃になると、穂を出し始めます。
米 15-16ページ
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(♪) <収穫の秋> 稲の穂が出て、花が咲いて、実を結んで、それがだんだん熟してくると、重さのために穂がたれ始めます。いよいよ収穫の秋を迎えるのです。でもお百姓さんたちの仕事は終わりません。稲刈りをしたり、乾燥させたり、稲こきで籾(もみ)を採ったり、俵につめたり、次から次へと農作業が続きます。左ページの絵は、刈り取った稲を乾かしているところ。右ページは稲こきを使って、籾を集めているところです。田んぼで作る稲のほかに、陸稲(おかぼ)という、畑で作る稲のことも説明されています。
米 17-18ページ
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(♪) <外国の稲作> ここから2つの見開きは、外国の稲作について解説されています。特にアメリカの例として、トラクターによる土起こしから始まって、ポンプでの給水、飛行機をつかった種まきなど、徹底した機械の利用が紹介されています。広々とした農地の上を、飛行機が気持ちよさそうに種まきをしていますね。
米 19-20ページ
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(♪) <すべて機械力> 飛行機から種をまくわけですから、苗代を作って田植えをする、ということもありません。田んぼに並んで、腰をかがめて田植えをする日本のやり方と、何という違いでしょう。同じように、夏の草取りも、刈り入れも、脱穀も、みんな機械の力によって行われるのです。これなら米袋に寄りかかってお昼寝をしていても、だれにも怒られることはないでしょうね。
米 21-22ページ
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(♪) <稲の害物> ここでは稲の病虫害のことが説明されています。いちばん多いといわれるイモチ病、白葉枯れ病、黒穂病。稲の養分を吸いとってしまうウンカ。稲を食べ荒らすイネメイガやイナゴ。それに秋の収穫期には、小鳥の害などもあります。現在ほど農薬が発達していなかった時代ですから、病虫害に対するお百姓さんの心配は、並大抵ではなかったことでしょう。ところで左ページのかかしですが、なんとなく外国のかかしみたいに見えますね。
米 23-24ページ
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(♪) <米> ここでは、収穫した稲が米になるまでの過程を説明しています。籾として集められた米は、機械にかけられ、籾殻が取り除かれます。これが玄米です。玄米から糠(ぬか)を取り除いたものが白米で、私たちがふだん食べているのは、この白米です。玄米を白米にするには、昔は水車などを使いましたが、この時代もすでに精米機が使われていました。左ページは精米場です。画面からも、ゴウゴウという大きな音が聞こえてきそうです。
米 25-26ページ
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(♪) <米とお祭> その年の収穫が終わると、豊年を感謝して、様々なお祭りが行われます。この時代は、神嘗祭(かんなめさい)と新嘗祭(にいなめさい)というお祭りがありました。神嘗祭は、最初に採れた稲穂を伊勢神宮に供える行事、新嘗祭は、天皇が新米を神に捧げる宮中行事でした。新嘗祭は、現在は勤労感謝の日として祝日になっています。民間でも、豊年を感謝するお祭りは各地にあり、それは今でも行われています。またお正月の鏡餅とか、お祝いに炊く赤飯などは、みんな米を使ったおめでたい食べ物です。
米 27-28ページ
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(♪) <米の種類> ここと次の見開きは、米の種類や用途についての説明です。稲の種類に「愛国」「神力」などの名前が見えるのは、いかにもこの時代を感じさせますね。また産地によって肥後米(ひごまい)、讃岐米(さぬきまい)、越後米(えちごまい)と呼ばれているのは、今でいうとコシヒカリとかササニシキみたいなものでしょう。次の見開きと重なりますが、米には、大きく分けると「うるち米」と「もち米」があって、ご飯として食べているのはうるち米、もち米は粘り気があるので、餅やお菓子に使われる、ということが説明されています。
米 29-30ページ
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(♪) <米の用途> ここでは、米の用途が説明されています。もち米がお菓子や餅、赤飯などに使われることは前にも述べましたが、うるち米はご飯のほかに、酒、みそ、しょうゆ、す、などに加工されます。でも表で見ると、86パーセント以上はご飯として食べられています。米が日本人にとって主食だということは、この数字からも明らかですね。ところで、表の説明文が右から読むようになっていることにお気づきでしたか?
米 31-32ページ
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(♪) <米の生産額> この見開きから次のページにかけては、日本の米の生産額と、1932年当時の、世界の米の生産額についての説明です。日本の生産額の中に朝鮮や台湾が加えられているのは、初めにも述べましたが、この絵本が作られた時代の反映です。それらを全部を含めて、世界の15パーセントの米が日本で生産されている、と述べています。
米 33-34ページ
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(♪) <米の生産額の円グラフ> 世界一の米の生産国はインドで55パーセント、次が中国、日本は3番目と説明されています。しかし上のグラフを見ると、インドと中国はほぼ同じぐらいの比率に見えますね。いずれにしても、アジアで生産される米は世界の94パーセント。アジアの人々にとって、そして日本人にとって、いかに米が重要な食料であるかが、このグラフでわかります。
(♪) <奥付> 発行の昭和12年9月というところにご注目ください。この年の前年には、「2・26事件」というクーデター事件がありました。またこの年の7月には、「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」という、日中戦争の発端になった事件が起こっています。そんな重苦しい時代に、日本で初めての小学科学絵本シリーズが刊行されたのでした。そこにはどんな時代にあっても、子どもたちに知識や文化の継承を試みようした先人の気持ちが、深く込められているような気がします。

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米の裏見返し
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米の裏表紙
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米のカバー(裏)
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作家について 1/3

農学博士 鈴木文助(明治21<1888>年–昭和24<1949>年)編
夏川八郎(柳瀬正夢)(明治33<1900>年–昭和20<1945>年)絵 \

<「小学科学絵本」シリーズ>
 昭和12(1937)年に東京社から刊行された「小学科学絵本」全12巻は、日本で最初の科学絵本シリーズといわれています。テーマはほぼ三つのジャンルに分かれていて、農学博士の鈴木文助が「砂糖」、「米」など食物ジャンル、理学博士の箕作新六が「石炭」、「鉄鋼」など地下資源ジャンル、工学博士の辻二郎が「飛行機」、「汽車」など乗り物ジャンルの編者になっています。また画家には時代の最先端で活躍する村山知義や夏川八郎(柳瀬正夢)、山下謙一などを起用して、子どもたちにとって身近で基本的なテーマを、科学的・文化的な視点でわかりやすく解説しようとした画期的なノンフィクションシリーズでした。

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作家について 2/3

<編者と画家>
 『米』の編者・鈴木文助は東大農学部卒業。生化学者で農学博士。ビタミンB1の発見で有名な鈴木梅太郎の養子でした。京都大学・東京大学の教授を歴任し、農学部長も務めています。画家の夏川八郎は本名柳瀬正夢。早くから多彩な才能を開花させ、絵画・デザイン・風刺漫画・写真分野などでの前衛的な活躍は、アヴァンギャルドの旗手と言われました。この絵本にも伝統と西欧的表現の自然な調和が見られます。終戦の年、新宿駅で空襲にあって亡くなりました。

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作家について 3/3

<作品の意義>
 この『米』を含めて、シリーズ全体がアメリカのピーターシャムの絵本シリーズの影響を受けていることは、早くから指摘されていました。しかし私たちがこの絵本を開いて真っ先に思うのは、昭和12(1937)年というシリーズが誕生した時代のことです。日中戦争から太平洋戦争へ、日本はますます暗い方向へ突き進んでいました。そんな中でこの絵本は、主食の米がテーマであるにもかかわらず、食糧増産などという掛け声ではなく、米の科学的・文化的な意味を、学者と芸術家の力をかりて子どもたちにしっかり伝えようとしているのです。この作品の意義を語るとしたら、まずそのことなのではないでしょうか。

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