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書誌

題名:サーカス
原題:Цирк
作画者:サムイル・マルシャーク作 ウラジーミル・レーベジェフ絵
版元:Raduga; Leningrad
刊行年:1928年(1925年初版)
ページ数:12ページ
判型:290x230 mm
著作物使用許諾/アレクサンドル・マルシャーク、ヤーコフ・マルシャーク、アーダ・ラゾー
© by permission of Aleksandr Marshak, Iakov Marshak, and Ada Lazo
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サーカス
サーカスの表紙
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(♪) サーカス。サムイル・マルシャーク作。ウラジーミル・レーべジェフ絵
サーカス
サーカス 1ページ
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ロシアに初登場のサーカス! はじめてロシアにやってきた。ニューヨークへいくとちゅうの、ツァーニボーニ・サーカス。芸たっしゃな馬とろばにポニー、だれもがみんな大歓迎! リオからきた女曲馬師、空中ブランコのトリオ、それから、レスラーのイワン・キュウリの登場。どんな豪傑が相手でも五分のたたかいでフォール勝ち。かの有名なピエロのジャコー、近頃パリから初めてロシアにやってきた。ピエロはいつもおびえてる。くしゃくしゃのぼさぼさ頭、一時間に1000発もびんたをくらう。ゆかいな出しものがいっぱい! 入場料はお安いよ! 大入り満員! 大好評! ふつう席は50カペイカ。ボックス席はちょっと高い。お帰りは、みなさんどなたもただだよ!
サーカス
サーカス 2-3ページ
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(♪) トリ人間だ! 海軍省のとんがり塔のてっぺんにだってのれるぞ!
(♪) 花びんにガラスのびん、人間の子どもまで、いちどにほうりあげ、受け止めるのはおやすいご用。
サーカス
サーカス 4-5ページ
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(♪) 口ぶえにむちの音、ドラムのひびきにあわせて、むてっぽうな猿の騎手ドン・ペドロがとんでいく。
(♪) フリカセ嬢は一輪車ですいすい。
サーカス
サーカス 6-7ページ
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(♪) 貴婦人のつな渡り。ツー・トントンと電報みたい。
(♪) ジュンボじいさんはいそがしい。たいこをドンドコたたいてる。「あのゾウ、入団したんだね」と、ピオネールの子どもたち。
サーカス
サーカス 8-9ページ
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(♪) スピリドン・クジミーチはきっすいのモスクワっ子。奥さんのダーリャは南半球の生まれ。
(♪) 世界一の怪力人間たちだよ。子どものすきなボールのように、ダンベルをほうりあげる。
サーカス
サーカス 10-11ページ
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(♪「だんなさん、その赤いトマトはどちらでお買い求めで?」「なんと失礼な。これはわがはいの鼻ですぞ!」
(♪) 魚つりをした。オーケストラ・ボックスで。フナがつれた。家にかえったらお昼のごちそうに煮てたべよう。
サーカス
サーカス 12-13ページ
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(♪) あたしは美女のミス・ジェニー。手綱さばきもあざやかに、舞台せましとかけめぐる。赤い鞍にのって、「さあ、とべとべ! ハイ、ドゥウ ドゥウ!」

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サーカス
サーカスの裏表紙
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作家について 1/4

サムイル・マルシャーク(1887–1964)作
ウラジーミル・レーベジェフ(1891–1967)絵\

 1917年のロシア革命を経てソビエト社会主義共和国連邦が成立すると、新しい国を背負って立つ子どもたちのための文学の創造が始まった。マルシャークは、詩や児童劇、翻訳などで多くの作品を発表するとともに、児童文学の指導者として活躍し、ゴーリキーやチュコフスキーらとソビエト児童文学の基礎作りに大きな役割を果たした。
 モスクワ南方のヴォロネジ市に生まれ、父はユダヤ系技術者だったため一家の暮らしは貧しかった。幼少の頃から詩作の才能を発揮して、高名な評論家スターソフに認められ、その縁でゴーリキーと出会い、文学への道が開かれる。1912年、ロンドン大学に留学した。

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作家について 2/4

 1917年の革命後は、戦災孤児のための子どもの町や子ども劇場を創設し、児童劇の執筆で児童文学の仕事を始めた。1922年、ペトログラードの就学前教育研究所で児童文学のサークルを主宰し、多くの作家を育てた。1924年から国立出版所児童書部の文学の責任者を務め、1934年の第一回全ソ作家大会では特別報告「小さな人たちのための大きな文学」を行っている。
 マルシャークの詩は、明るく、簡潔で、透明感があり、それにユーモラスである。多くの作品が繰り返し出版され親しまれてきた。スラヴの昔話をもとにした児童劇『12の月』(1943年)は、『森は生きている』という邦題で日本でもよく知られている。

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作家について 3/4

 挿し絵を描いたレーベジェフはソヴィエトの絵本の黄金期を代表する画家。ペトログラードで生まれ、芸術アカデミーなどで学んだ。革命後の1920年から1922年、ペトログラードの「ロスタ(ロシア通信社)の窓」と呼ばれる街頭に貼り出された政治宣伝のポスターの制作に従事した。1924年から国立出版所児童書部の美術責任者となる。画家としては、永年にわたってマルシャークと“黄金のコンビ”を組んで絵本の可能性を追求し、1920年代には『サーカス』、『アイスクリーム』、『荷物』、『きのうと今日』など、多くの傑作を生み出した。しかし、ロシア・アヴァンギャルドの流れを汲む、自由で風刺とユーモアに満ちた斬新なレーベジェフの絵は、社会主義リアリズム路線とは相容れず、1936年3月にソ連共産党の機関紙『プラウダ』紙上で厳しい批判を浴びた。そして、1930年代終わりから『12の月』(短編1943年)や『しずかなおはなし』(1958年)に見るように、画風は叙情的なものへと変わっていった。

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作家について 4/4

 『サーカス』(1925年)は、先にレーベジェフの絵があり、それにマルシャークが詩をつけた、といわれる。ポスターを思わせる斬新な構図の、カラフルでユーモラスな場面が続き、サーカスの楽しさがいっぱいの躍動感溢れる絵本になっている。表紙には詩人と画家の名が赤い大きな字で同等に並んでいるが、それは二人が一体となってこの絵本の制作に取り組んだことを物語っている。

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