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書誌

題名:石炭 (小學科學繪本 第九巻)
作画者:理学博士 箕作新六編 山下謙一絵
版元:東京社
刊行年:1937年(昭和12年)
ページ数:32ページ
判型:212x195 mm
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石炭
石炭の表紙
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石炭。小学科学絵本 第9巻。理學博士・箕作新六編。山下謙一絵。

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石炭
石炭の見返し
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石炭
石炭 1-2ページ
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二つの石炭が話をしています。一つは九州出身、一つは北海道出身。つまり日本の二大産炭地だったところです。でも九州弁はそれらしく聞こえますが、北海道出身の石炭は、むしろ広島か岡山地方の方言に聞こえませんか? 文章に旧字・旧かなが使われているのは、この絵本が昭和12年1937年の出版のためです。
石炭
石炭 3-4ページ
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(♪) <石炭はどうして出来たか> 文章では、ここと次の見開きで、石炭の生成過程が説明されています。最初の見開きは、太古の地球を描いたものでしょう。沼地に生えている何十メートルもの巨木や羊歯(しだ)が、地震や暴風雨、噴火などによって、地中に埋まってゆきます。それが長い間に、地熱や地圧を受けて炭化してゆき、石炭になったというわけです。
石炭
石炭 5-6ページ
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(♪) 右ページには石炭の化石が描かれています。表面に残る羊歯や動物の骨などによって、前に説明された石炭の生成過程が証明されるのです。
左ページの絵は、露天掘りの様子です。日本にはほとんど見られませんが、外国では石炭が地表に顔を出している場所がたくさんあります。お父さんが掘り出した石炭を、子どもがロバの背中に積んで、お手伝いをしているところでしょうか。
石炭
石炭 7-8ページ
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(♪) <石炭の種類> ここでは石炭の種類が説明されています。巨木や羊歯などが地中に埋まって、泥のように炭化したのが「泥炭」です。ただし燃料としては、あまり良質ではありません。この泥炭が地中に深く埋められて、地熱や地圧の影響によって固まったものが「褐炭」です。その名の通り褐色をしていて、ドイツが最大の産出国だと説明されています。
石炭
石炭 9-10ページ
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(♪) 左右の図は、石炭の種類と炭層を表しています。文字の表記が、右から読むようになっていることに気がつきましたか? 褐炭がさらに地熱や地圧を受けると、「瀝青炭(れきせいたん)」に変化します。私たちが石炭と呼んでいるのは、黒くて硬いこの瀝青炭のことです。瀝青炭より深層にあって、燃やしたときに煙の少ないものを「無煙炭」といいます。石炭の種類は、おおむねこの4種類に分類されます。なお文中に、朝鮮が日本の領土と説明されているところがありますが、これは戦前という時代によるものであることは、言うまでもありません。
石炭
石炭 11-12ページ
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(♪) <燃える石> お話は前ページから始まっていますが、ここでは、石炭発見のエピソードが紹介されています。昔むかし、人々が野原で焚き火をしていたとき、その火が露出していた石炭に燃え移って、偶然「燃える石」が発見されたというのです。石炭に関する最古の文献は、古代ギリシャの『石について』という本で、「黒い石」つまり石炭のことが書かれているそうです。左の絵は、ギリシャの鍛冶屋(かじや)が、石炭を使って仕事をしているところのようです。
石炭
石炭 13-14ページ
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(♪) <日本の石炭史> 日本の場合はどうだったのでしょうか。7世紀半ば天智天皇の時代に、越後の国から「燃える石」と「燃える水」が献上されたという記録が残っています。おそらく石炭と石油のことでしょう。時代は下って、この挿絵に描かれている場面。北九州の農夫が焚き火をしていて、偶然「燃える石」を発見しました。これは外国と同じですね。しかしあまりの悪臭に気味悪がって、以後石炭を使うことはありませんでした。石炭を実際に使うようになったのは、江戸時代になってからです。肥前の五平太という男が、石炭を燃料として使い始めました。この地方ではしばらくの間、石炭のことを「五平太」と呼んでいたそうです。
石炭
石炭 15-16ページ
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(♪) <外国の石炭史> 世界でいち早く石炭を使い始めたのは、イギリスでした。優良な炭坑がたくさんあったのです。ところがこのイギリスでも、燃えるときの悪臭や有毒ガスを嫌って「石炭禁止令」が出されていました。燃やした者の家を壊したり、死刑にするという極端なこともあったそうです。13から14世紀ごろ、エドワード一世の時代でした。挿絵は、その様子を描いています。
石炭
石炭 17-18ページ
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(♪) アメリカでも石炭が使われだしたのは、ヨーロッパからの移住者が多くなってからです。初めは「黒い石」が燃料だとは思いませんでしたから、石炭売りが捕まって、牢屋に入れられることがあったそうです。ご婦人方におずおずと石炭をすすめている様子が、よく描かれていますね。しかし産業革命の勢いは、瞬く間に大量の石炭を必要とし始めました。蒸気機関の発明をきっかけに、鉄道、汽船、工場の大型機械など、石炭はあらゆるもののエネルギー源になったのです。
石炭
石炭 19-20ページ
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(♪) <炭坑> 初めの説明にもありましたが、石炭は長い間の地殻変動によって、たいていは深い地層にあります。そのため人々は、様々な採掘方法を考え出しました。右ページの絵にある通り、まずまっすぐな竪坑(たてあな)を掘ります。そこから石炭の層に沿って、横坑(よこあな)を掘り進めるのです。掘り出した石炭は、石炭車やエレベーターなどで運び出されますが、なんと2段目の横坑では、馬が運んでいますね。
石炭
石炭 21-22ページ
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(♪) 地中で働く炭坑には、様々な危険が付きものです。ここではその防止策が説明されています。送風機は、新鮮な空気を地中に送り込むためのもの。排水ポンプは、溜まった地下水を汲み出すもの。落盤防止の鉄柱や支柱も必要です。メタンガスが発生すると、窒息死や爆発事故が起こりますから、その対策も不可欠です。挿絵にあるように、安全灯で感知したり、ガスに反応しやすいカナリアを飼ったりしたそうです。でも安全確保のためには、何よりもチームワークが大切だということを、次のページでは述べています。
石炭
石炭 23-24ページ
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(♪) <石炭の採り方> 右ページの絵は、外国の古い文献に描かれた採掘の様子です。浅い地層にある石炭を、ほとんど人力によって掘り出していますね。しかし産業革命以降、特に蒸気機関が発明されてからは、その程度の採炭量ではとても間に合いませんでした。本格的な採炭方法が開発されたのは、その頃からです。
石炭
石炭 25-26ページ
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(♪) 日本で最初に開発された炭坑は、長崎県の高島炭坑でした。明治の初めのことです。その後も近代化を急ぐ明治政府は、外国の技術を積極的に導入して、日本のあちこちに炭坑を開発しました。もちろん機械の導入にも熱心でした。右の絵は掘削機を使って石炭を掘り進めているところ。左の絵は、落盤事故を防ぐための支柱です。
石炭
石炭 27-28ページ
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(♪) 外国と違って日本の場合は、地層の深いところに石炭が分布しています。そのため竪坑の深さも、何千メートルに達することもありました。そこをエレベーターで昇降したり、石炭車を使って搬出したりしていたのです。また一度にたくさんの石炭を掘り出すため、火薬を使って爆破することもありました。危険と隣り合わせの作業をしながら、機械力を最大限に利用して、採炭量を増やしていったのです。左の絵は、坑道を走る石炭車の様子です。
石炭
石炭 29-30ページ
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(♪) <選炭> ここでは選炭のことが説明されています。掘り出された石炭には、石や岩などの異物が混じっていますから、それを取り除かなければなりません。左の絵は選炭場の様子です。おそらく外国の資料を写したものでしょうが、選炭作業をする少年労働者と、それを監視する男たちが描かれています。ちょっと暗い場面ですね。でもこの選炭作業も、間もなく水や空気の力を利用した、機械の力によって処理されるようになりました。
石炭
石炭 31-32ページ
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(♪) <石炭の輸送> 集められた石炭は、昔は馬車や川舟を使って運んでいましたが、この時代になると、鉄道と船が主力になりました。石炭を満載した何十両もの貨物車が、港に向かって進んで行きます。石炭はそこで汽船に積み込まれるのです。ところでこの挿絵では、機関車からも船からも、大量の煙が吐き出されています。今なら大気汚染が心配されるところですが、この時代は、煙こそが繁栄の象徴だったのです。なお解説文に「満洲国」とあるのは、現在の中国東北部のことです。戦前の日本が犯した汚点の一つと言えるものです。
石炭
石炭 33-34ページ
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(♪) <石炭の用途> 最後のまとめとして、石炭の様々な用途が説明されています。燃料としてはもちろん、石炭ガス、コークス、コールタール、化学薬品、染料、香料、火薬など、石炭がいろいろに利用されていることが、この図から理解できると思います。
(♪) <奥付> この絵本は1937年5月に刊行されました。2ヶ月後の7月には、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)という、日中戦争の発端となった事件が起こっています。時代の風潮として、石炭や石油などの「エネルギー重視」が叫ばれている時代でした。しかしこの絵本には、そんな偏りはまったく感じられません。人類にとっての貴重な地下資源について、子どもたちに基本的な知識を伝えようとする誠実な姿勢が感じとれます。この絵本の価値は、そんなところにあるのかもしれません。

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石炭
石炭の裏表紙
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作家について 1/3

理学博士 箕作新六(明治26<1893>年–昭和28<1953>年)編
山下謙一(生没年不詳)絵 \

<「小学科学絵本」シリーズ>
 昭和12(1937)年に東京社から刊行された「小学科学絵本」全12巻は、日本で最初の科学絵本シリーズといわれています。テーマはほぼ三つのジャンルに分かれていて、理学博士の箕作新六が「石炭」、「鉄鋼」など地下資源ジャンル、農学博士の鈴木文助が「砂糖」、「米」など食物ジャンル、工学博士の辻二郎が「飛行機」、「汽車」など乗り物ジャンルの編者になっています。また画家には時代の最先端で活躍する村山知義や夏川八郎(柳瀬正夢)、山下謙一などを起用して、子どもたちにとって身近で基本的なテーマを、科学的・文化的な視点でわかりやすく解説しようとした画期的なノンフィクションシリーズでした。

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作家について 2/3

<編者と画家>
 『石炭』の編者・箕作新六は東大工学部化学科卒業。東北大学教授の後、化学工業会社の所長や顧問などを歴任。理化学関係の多くの著書を残しています。画家の山下謙一はこのシリーズで『石油』、『汽船』、『家』の巻も担当。画家としての活躍のほかに、映画のポスターやブックデザインなどでも優れた業績を残しました。見返しや港の場面などを見ると、20世紀の初めにソビエト(現ロシア)で刊行された「モダニズム絵本」との共通性が感じられます。

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作家について 3/3

<作品の意義>
 この『石炭』を含む「小学化学絵本」が、アメリカのピーターシャムの絵本シリーズの影響を受けていたことは、早くから指摘されていました。しかし私たちがこの絵本を見て真っ先に思うのは、昭和12(1937)年というシリーズが刊行された時代のことです。前年の二・二六事件やこの年の盧溝橋事件など、日本は日中戦争から太平洋戦争へ、ますます泥沼の方向へと進んでいました。そんな中で、「石炭」という重要な地下資源がテーマであるにもかかわらず、エネルギー増産などというスローガンに傾くことなく、資源の基本的な知識を、科学的・文化的な方向から、子どもたちにしっかり伝えようとしていたのです。この作品の意義は、まずそのことにあったのではないでしょうか。

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