• トップ
  •  > 第2章 「童話」の時代―『赤い鳥』創刊から戦前まで

第2章 「童話」の時代―『赤い鳥』創刊から戦前まで

1 児童雑誌の創刊

「『赤い鳥』は(中略)子供の純性を保全開発するために、現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め、兼て、若き子供のための創作家の出現を迎うる、一大区画的運動の先駆である。」―これは、「『赤い鳥』の標榜語(モットー)」と題された、同誌の創刊の辞の一節です。「子供の純性」ということばに、大正期の児童観(これは、その後、プロレタリア児童文学の作家・評論家、槙本楠郎に「童心主義」と批判されるのですが)があらわれています。

『赤い鳥』につづいて、『金の船』(のち『金の星』と改題)、『童話』、『おとぎの世界』など、いろいろな児童雑誌が刊行されます。これらを舞台に、子どもの「童心」を描く「童心文学」が開花し、童話や童謡がさかんに書かれることになるのです。

芥川龍之介、有島武郎、宇野浩二らの文壇作家が童話を書き、小川未明や坪田譲治らの童話作家や、北原白秋、西条八十、野口雨情らの童謡詩人たちが数多くの作品を書きました。『赤い鳥』の清水良雄、『金の船』の岡本帰一、『童話』の川上四郎などの童画家たちも活躍します。

2 大衆的な児童文化

昭和に入ると、アルスの『日本児童文庫』全76巻(1927~30年)や、興文社・文藝春秋社の『小学生全集』全88巻(1927~29年)という、さまざまなジャンルにわたる総合的な児童文化叢書が出版されました。これらは、不況を背景に刊行された、大量生産による廉価普及版でした。

大正期に創刊された、講談社の大衆的な児童雑誌『少年倶楽部』や『少女倶楽部』も部数をのばし、子どもの本は、一気に大衆化の時代をむかえます。『少年倶楽部』には、吉川英治(代表作は「神州天馬侠」。以下、カッコ内はそれぞれの代表作)、高垣眸(「快傑黒頭巾」)、佐藤紅緑(「あゝ玉杯に花うけて」)、佐々木邦(「苦心の学友」)、大佛次郎(「角兵衛獅子」)、山中峯太郎(「敵中横断三百里」)、江戸川乱歩(「怪人二十面相」)らの小説が画家たちの挿絵に彩られて掲載されました。島田啓三(「冒険ダン吉」)や田河水泡(「のらくろ」)の漫画も人気がありました。

女子教育が普及するなかで、吉屋信子が「花物語」を連載した『少女画報』や、『少女の友』などの少女雑誌もよく読まれました。

3 戦争をはさんで

1924(大正13)年には、宮沢賢治の生前唯一の童話集『注文の多い料理店』が刊行されました。

昭和に入ると、学齢前から小学校低学年の子どもたちを読者とする「幼年童話」が書かれるようになります。浜田広介の作品や、千葉省三の『ワンワンものがたり』(1929年)は、その先駆けです。

このパートは「『赤い鳥』創刊から戦前まで」としましたが、1931(昭和6)年にはもう満洲事変が起こり、日本は、長い戦争の時代に入ります。1937(昭和12)年には、日中戦争がはじまります。

1938(昭和13)年には、内務省の「児童読み物改善に関する指示要綱」が発表されました。これは、一種の言論統制ですけれども、「要綱」の実施にあたっては、最初、児童文学や児童心理学、教育学の専門家の意見をとりいれたため、芸術的な児童文学が一時的に復興するという現象がおきました。新美南吉『おぢいさんのランプ』(1942年)や椋鳩十『動物ども』(1943年) などの新人の作品は、こうした状況の下で出版されたものです。

一方で、既成の作家たちは、戦争協力の態勢を強めていきます。「戦前」と「戦後」のあいだの「戦中」は、子どもを戦争へと追い込む作品が数多く書かれ、子どものためのものであるはずの児童文学が機能しなくなった空白期といえるかもしれません。

「赤い鳥」のサムネイル

「赤い鳥」の拡大画像を開きます

2-1赤い鳥
赤い鳥社 [1918]-[1929](大正7-昭和4)
当館請求記号 Z32-B339
鈴木三重吉主宰の児童雑誌。当時活躍中の著名な作家・画家を起用し、芸術性の高い内容で、近代児童文学の成立期に主導的な役割を果たした。画像は4巻6号。

「おとぎの世界」のサムネイル

「おとぎの世界」の拡大画像を開きます

2-2おとぎの世界
文光堂 [1919]-[1922](大正8-11)
当館請求記号 Z32-B287
創刊当初の監修は小川未明。表紙、挿絵に初山滋を起用し、評判を呼ぶ。昔話などの再話が多い。画像は1年4号。

「トンボの眼玉 : 白秋童謡集1」のサムネイル

「トンボの眼玉 : 白秋童謡集1」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「トンボの眼玉 : 白秋童謡集1」の拡大画像を開きます

2-3トンボの眼玉 : 白秋童謡集1
北原白秋 著 矢部季等 絵
アルス 1919(大正8)
当館請求記号 児乙部19-K
近代童謡の中心的存在であった北原白秋の絵入り童謡集。わらべ唄の現代化を図った。

2-4金の船
(金の星社刊行 1919.11)復刻版
ほるぷ出版 1983(昭和58)
当館請求記号 Z32-B88
1919(大正8)年創刊の『金の船』(1922(大正11)年に『金の星』と改題)の複刻。岡本帰一が専属画家。世界名作の紹介など読み物の要素が強い。

「童話」のサムネイル

「童話」の拡大画像を開きます

2-5童話
コドモ社 [1920]-[1926](大正9-15)
当館請求記号 Z32-B311
コドモ社1916(大正5)年創刊の『良友』の兄弟誌。看板画家は川上四郎。千葉省三が最初に編集者としてかかわり、「郷土童話」も発表した。画像は4年5号。

「古事記物語 上巻」のサムネイル

「古事記物語 上巻」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「古事記物語 上巻」の拡大画像を開きます

2-6古事記物語 上巻
鈴木三重吉 著 清水良雄 挿画
ほるぷ出版 1969(昭和44)
(赤い鳥の本  第1冊)
当館請求記号 KH6-4(初版 390-48-(1・2))
赤い鳥社1920(大正9)年刊の複製。『赤い鳥』3巻1号~5巻3号に掲載された、古事記の子ども向けの再話。

「鸚鵡と時計」のサムネイル

「鸚鵡と時計」の拡大画像を開きます

2-7鸚鵡と時計
西条八十 著 清水良雄, 加藤まさを 画
ほるぷ出版 1969(昭和44)
(赤い鳥の本  第3冊)
当館請求記号 KH6-4(初版 390-48-(3))
赤い鳥社1921(大正10)年刊の複製。象徴詩の詩人であった著者は、童謡についても「象徴詩としての童謡」という理念を掲げていた。

「赤い蝋燭と人魚」のサムネイル

「赤い蝋燭と人魚」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「赤い蝋燭と人魚」の拡大画像を開きます

2-8赤い蝋燭と人魚
小川未明 著
日本近代文学館 1969(昭和44)
(近代文学館:名著復刻全集 〔83〕)
当館請求記号 KH6-27(初版 501-58)
天佑社1921(大正10)年刊の複製。「日本近代童話の父」と呼ばれる小川未明の童話集。表題作は『東京朝日新聞』に発表された。

「こがね丸 : 三十年目書き直し」のサムネイル

「こがね丸 : 三十年目書き直し」の拡大画像を開きます

2-9こがね丸 : 三十年目書き直し
巌谷小波 著
ほるぷ出版 1974(昭和49)
(日本児童文学館 : 名著複刻 第2集 14)
当館請求記号 KH6-23(初版 501-100)
博文館1921(大正10)年刊の複製。日本初の創作児童文学である『こがね丸』を口語文に書き直したもの。画像は箱。

「十五夜お月さん」のサムネイル

「十五夜お月さん」の拡大画像を開きます

2-10十五夜お月さん
野口雨情 著 本居長世 曲 岡本帰一 画
ほるぷ出版 1971(昭和46)
(日本児童文学館 : 名著複刻 12)
当館請求記号 KH6-23
尚文堂1921(大正10)年刊の複製。白秋、八十と共に近代童謡の基礎を固めた著者の作品は人気があり、レコード化もされた。画像は箱。

【コラム】鈴木三重吉と北原白秋

「まざあ・ぐうす : 英国童謡集」のサムネイル

「まざあ・ぐうす : 英国童謡集」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「まざあ・ぐうす : 英国童謡集」の拡大画像を開きます

2-11まざあ・ぐうす : 英国童謡集
北原白秋 訳
大空社 1997(平成9)
(叢書日本の童謡)
当館請求記号 Y8-M98-111(初版 505-18)
『白秋童謠集第3集』(アルス1921(大正10)年刊)の複製。全131編。白秋は英米の童謡研究にも力を注いだ。画像は標題紙。

「一房の葡萄」のサムネイル

「一房の葡萄」の拡大画像を開きます

2-12一房の葡萄
有島武郎 著
ほるぷ出版 1971(昭和46)
(日本児童文学館 : 名著複刻 14)
当館請求記号 KH6-23
叢文閣1922(大正11)年刊の複製。少年時代の体験を基に子どもの内面に迫った表題作は、大正期児童文学の傑作の一つとされている。

「少女倶楽部」のサムネイル

「少女倶楽部」の拡大画像を開きます

2-13少女倶楽部
大日本雄弁会講談社 [1923]-1946(大正12-昭和21)
当館請求記号 Z32-411
月刊少女雑誌。少女小説の発展の中心的存在となった。継続後誌は『少女クラブ』。画像は2巻11号。

「ひろすけ童話讀本 第1集」のサムネイル

「ひろすけ童話讀本 第1集」の拡大画像を開きます

2-14ひろすけ童話讀本 第1集
濱田廣介 著
文教書院 1924(大正13)
当館請求記号 Y8-N05-H151
人間の善意に基づいた情感や叙情性の強い著者の作品は「ひろすけ童話」と呼ばれ親しまれた。画像は標題紙。

「注文の多い料理店」のサムネイル

「注文の多い料理店」の拡大画像を開きます

2-15注文の多い料理店
宮沢賢治 著
日本近代文学館 1969(昭和44)
(近代文学館:名著復刻全集 〔91〕)
当館請求記号 KH6-27
杜陵出版部1924(大正13)年刊の複製。自費出版された生前唯一の童話集。死後、その独特の世界に対する評価が高まり、日本児童文学を代表する作品集の一つとなる。

「ピノチオ : あやつり人形の冒險 : 童話」のサムネイル

「ピノチオ : あやつり人形の冒險 : 童話」の拡大画像を開きます

2-16ピノチオ : あやつり人形の冒險 : 童話
C.Collodi [原著] 佐藤春夫 譯著
改造社 1925(大正14)
当館請求記号 Y9-N05-H224
英語からの重訳。初訳は『赤い鳥』4巻2号~5巻3号に「いたずら人形の冒険」(未完訳)として連載された。

「神州天馬侠 第2卷」のサムネイル

「神州天馬侠 第2卷」の拡大画像を開きます

2-17神州天馬侠 第2卷
吉川英治 著
大日本雄辯會講談社 1927(昭和2)(26版:1930(昭和5))
当館請求記号 Y8-N03-H1190(第1巻、第3巻 517-570)
『少年倶楽部』12巻5号~15巻12号連載。単行本全3巻。雄大なスケール、劇的な展開で人気を博した。挿絵は日本画家山口将吉郎が手掛けた。

「大男と一寸法師」のサムネイル

「大男と一寸法師」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「大男と一寸法師」の拡大画像を開きます

2-18大男と一寸法師
楠山正雄 編 河目悌二 絵
冨山房 1925(大正14)
(画とお話の本 ; 3)
当館請求記号 児乙部25-K-24
「画とお話の本」(全6冊)は本文と挿絵の一体化を目指し、現代絵本の先駆的なシリーズとされている。

「夢の卵」のサムネイル

「夢の卵」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「夢の卵」の拡大画像を開きます

2-19夢の卵
豊島与志雄 著 鈴木淳 絵
赤い鳥社 1927(昭和2)
(赤い鳥叢書 ; 4)
当館請求記号 児乙部27-T-1
大正期創作メルヘンを代表する1冊。著者は「のびのびと自由な気持ちになる」という童話観を主張した。

「あゝ玉杯に花うけて」のサムネイル

「あゝ玉杯に花うけて」の拡大画像を開きます

2-20あゝ玉杯に花うけて
佐藤紅緑 〔著〕
『少年倶楽部』14巻9号
大日本雄辯會講談社 1927(昭和2)
当館請求記号 Z32-387
『少年倶楽部』14巻5号~15巻4号に連載。タイトルは旧制第一高等学校の寮歌が由来。忍耐、努力、友情などの少年の理想を描く。

「豹(ジャガー)の眼」のサムネイル

「豹(ジャガー)の眼」の拡大画像を開きます

2-21豹(ジャガー)の眼
青梅昕二 作 伊藤彦造 画
『少年倶楽部』14巻9号
大日本雄辯會講談社 1927(昭和2)
当館請求記号 Z32-387
『少年倶楽部』14巻1号~14巻12号に連載。人気を博した冒険小説。当時ブームだった輸入連続活劇を参考にしたという。

「児童劇集 上」のサムネイル

「児童劇集 上」の拡大画像を開きます

2-22児童劇集 上
坪内逍遥 著 田中良 絵
アルス 1927(昭和2)
(日本児童文庫 ; 21)
当館請求記号 児乙部全集-N-21
「日本児童文庫」は1927(昭和2)年に配本が開始された。全76巻の総合的な児童文化叢書である。アルスは、北原白秋の弟・鉄雄がおこした出版社。画像は21巻。

「幼年童話集 上」のサムネイル

「幼年童話集 上」の拡大画像を開きます

2-23幼年童話集 上
菊池寛 編 河目悌二 絵
文藝春秋社, 興文社 1927(昭和2)
(小学生全集 : 1)
当館請求記号 児乙部全集-S-1
「小学生全集」は1927(昭和2)年から1929(昭和4)年にかけて、菊池寛編集責任で出版された全88巻の叢書。類似企画の「日本児童文庫」と競合し、訴訟にまでなった。画像は標題紙。

「苦心の学友」のサムネイル

「苦心の学友」の拡大画像を開きます

2-24苦心の学友
佐々木邦 著
大日本雄弁会講談社 1930(昭和5)
当館請求記号 603-75
『少年倶楽部』14巻10号~16巻12号に連載。著者は英文学者、翻訳家でもあった。日本の少年小説初のユーモア小説とされている。

「三つの宝」のサムネイル

「三つの宝」の拡大画像を開きます

2-25三つの宝
芥川竜之介 著 小穴隆一 画
ほるぷ出版 1971(昭和46)
(日本児童文学館 : 名著複刻 22)
当館請求記号 KH6-23(初版 553-26)
改造社1928(昭和3)年刊の複製。芥川の死後刊行された唯一の童話集。精緻で完成度の高い物語は児童文学の質的向上に貢献した。

「級長の探偵」のサムネイル

「級長の探偵」の拡大画像を開きます

2-26級長の探偵
川端康成 著 深沢省三, 深沢紅子 装幀・絵
ほるぷ出版 1974(昭和49)
(日本児童文学館 : 名著複刻 第2集 25)
当館請求記号 KH6-23(初版 764-145)
中央公論社1937(昭和12)年刊の複製。表題作(初出は『少年倶楽部』16巻3号)ほか8編を収録。

「児童劇集 上」のサムネイル

「トテ馬車 : 童話集」の全文画像を新しいウィンドウで開きます

2-27トテ馬車 : 童話集
千葉省三 著 川上四郎 絵
古今書院 1929(昭和4)
当館請求記号 児乙部29-T-1
千葉省三の第1童話集。代表作「虎ちゃんの日記」収載。このころ、「村童もの」と言われる一連の作品を書いた。

「ワンワンものがたり」のサムネイル

「ワンワンものがたり」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「ワンワンものがたり」の拡大画像を開きます

2-28ワンワンものがたり
千葉省三 著 川上四郎 絵
金蘭社 1929(昭和4)
(金蘭ゑばなし叢書 ; 2)
当館請求記号 児乙部29-T-5
ナンセンス物語の先駆的な作品で、児童文学の古典として読み継がれている幼年童話。

「敵中横断三百里」のサムネイル

「敵中横断三百里」の全文画像を新しいウィンドウで開きます 「敵中横断三百里」の拡大画像を開きます

2-29敵中横断三百里
山中峯太郎 著
講談社 1970(昭和45)
(愛蔵復刻版少年倶楽部名作全集)
当館請求記号 KH718-11(初版 児乙部31-Y-3)
1931(昭和6)年刊の複製。初めに『少年倶楽部』17巻4号~17巻9号に連載された。日露戦争に取材した実録小説。作者は軍事冒険小説の第一人者とされる。

「のらくろ二等卒」のサムネイル

「のらくろ二等卒」の拡大画像を開きます

2-30のらくろ二等卒
田河水泡 〔著〕
『少年倶楽部』18巻1号
大日本雄辯會講談社 1931(昭和6)
当館請求記号 Z32-387
『少年倶楽部』18巻1号~18巻12号に連載。この作品で児童文化の中での漫画の地位と、コマ割りというスタイルの基礎が確立された。

「小さい同志 : プロレタリア童謡集」のサムネイル

「小さい同志 : プロレタリア童謡集」の拡大画像を開きます

2-31小さい同志 : プロレタリア童謡集
槙本楠郎, 川崎大治 共編
ほるぷ出版 1974(昭和49)
(日本児童文学館 : 名著複刻 第2集 23)
当館請求記号 KH6-23(初版 特500-163)
自由社1931(昭和6)年刊の複製。槙本楠郎は前時代の童心主義を否定し、理論的指導者としてプロレタリア児童文学の推進に努めた

「ごん狐」のサムネイル

「ごん狐」の拡大画像を開きます

2-32ごん狐
新美南吉 〔著〕
『赤い鳥 複製版』 [復刊]3巻1号
日本近代文学館 1968(昭和43)
当館請求記号 Z13-890
新美南吉が18歳のころ(1932(昭和7)年)に作った作品。1980(昭和55)年からは全教科書出版社の小学校国語教科書に採用されている。

「吼える密林 : 猛獣征服」のサムネイル

「吼える密林 : 猛獣征服」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「吼える密林 : 猛獣征服」の拡大画像を開きます

2-33吼える密林 : 猛獣征服
南洋一郎 著
大日本雄弁会講談社 1938(昭和13)
当館請求記号 Y7-3521
『少年倶楽部』19巻4号~19巻12号に連載。初版は1933(昭和8)年刊。子どもに愛読された冒険小説。鈴木御水、樺島勝一の臨場感あふれる挿絵が作品の雰囲気を盛り上げた。画像は標題紙。

2-34赤ノッポ青ノッポ
武井武雄 文画
ほるぷ出版 1978(昭和53)
(複刻絵本絵ばなし集 〔17〕)
当館請求記号 KC511-20
鈴木仁成堂1934(昭和9)年刊の複製。『朝日新聞』連載の絵物語を単行本化。漫画に近い絵物語の形式に挑戦している。

「魔法 : 坪田讓治童話」のサムネイル

「魔法 : 坪田讓治童話集」の拡大画像を開きます

2-35魔法 : 坪田讓治童話集
坪田譲治 著
健文社 1935(昭和10)
当館請求記号 Y8-N03-H715
ロマンチシズムとリアリズムが融合した独自の世界により、新しい児童文学を確立した。

【コラム】プロレタリア児童文学

「心に太陽を持て : -胸にひびく話-二十篇」のサムネイル

「心に太陽を持て : -胸にひびく話-二十篇」の拡大画像を開きます

2-36心に太陽を持て : -胸にひびく話-二十篇
山本有三 著
新潮社 1935(昭和10)
(日本少國民文庫 ; 第12巻)
当館請求記号 Y8-N03-H896
「日本少国民文庫」シリーズ(全16冊)の1冊。自由が制限された時代にありながら先駆的な児童教養叢書であった。

2-37怪人二十面相
江戸川乱歩 〔著〕
『少年倶楽部』23巻1号
大日本雄辯會講談社 1936(昭和11)
当館請求記号 Z32-387
『少年倶楽部』23巻1号~23巻12号に掲載された少年向け探偵小説。子どもたちの熱狂的な支持を得、連載終了と同時に単行本となった。

「原っぱの子供會 : 槙本楠郎童話集」のサムネイル

「原っぱの子供會 : 槙本楠郎童話集」の拡大画像を開きます

2-38原っぱの子供會 : 槙本楠郎童話集
槙本楠郎 著
子供研究社 1937(昭和12)
(新童話選集 ; 1)
当館請求記号 Y8-N03-H900
プロレタリア児童文学運動が解体された後、著者は「生活主義童話」を提唱し、その後の作品に影響を与えた。画像は標題紙。

「君たちはどう生きるか」のサムネイル

「君たちはどう生きるか」の拡大画像を開きます

2-39君たちはどう生きるか
吉野源三郎 著 脇田和 絵
新潮社 1949(昭和24)
(日本少国民文庫 ; 4)
当館請求記号 児15-Y-1
「日本少国民文庫」シリーズの最後の1冊。初版は1937(昭和12)年。日本の児童文学における倫理小説の草分けといわれる。

2-40熊のプーさん
A.A.ミルン 著 石井桃子 訳 E.H.シェパード 絵
英宝社 1950(昭和25)
当館請求記号 児93-M-41
初版は岩波書店1940(昭和15)年刊。古典中心だった翻訳界に同時代の作品を取り上げ、新しい流れを作った。

「ドリトル先生アフリカ行き」のサムネイル

「ドリトル先生アフリカ行き」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「ドリトル先生アフリカ行き」の拡大画像を開きます

2-41ドリトル先生アフリカ行き
ロフティング 作 井伏鱒二 訳 河目悌二 絵
光文社 1946(昭和21)
当館請求記号 児995-78(初版 793-173)
初版は白林少年館出版部1941(昭和16)年刊。イギリスの作家ロフティングが、戦地から家で待つ子どものために書いた絵手紙が元になって生まれた物語。石井桃子の強いすすめと協力で、井伏鱒二がユーモアあふれる翻訳をした。画像は標題紙。

「おぢいさんのランプ」のサムネイル

「おぢいさんのランプ」の全文画像を新しいウィンドウで開きます
「おぢいさんのランプ」の拡大画像を開きます

2-42おぢいさんのランプ
新美南吉 著 棟方志功 絵
有光社 1942(昭和17)
当館請求記号 児952-23
巽聖歌の尽力で出版された新美南吉の初の童話集。どの作品も少年の繊細な心象心理を鋭く描いている。

「動物ども」のサムネイル

「動物ども」の拡大画像を開きます

2-43動物ども
椋鳩十 著 安泰 絵
三光社 1943(昭和18)
当館請求記号 児970-48
『少年倶楽部』に発表された11編に新たな書き下ろし4編を加えた、動物と人間の交流を描いた短編集。

「鶴の恩がへし」のサムネイル

「鶴の恩がへし」の拡大画像を開きます

2-44鶴の恩がへし
坪田讓治 著
新潮社 1943(昭和18)
(日本昔話)
当館請求記号 Y8-N09-J980
坪田譲治初の昔話集。戦時下の出版検閲等に抵抗するために、創作よりも昔話の再話に力を入れたとも言われている。

【コラム】宮沢賢治と新美南吉

コラム鈴木三重吉と北原白秋戻る

児童雑誌『赤い鳥』を主宰した鈴木三重吉(1882~1936年)は、夏目漱石門下の小説家でした。小説『千鳥』などでは、浪漫的な傾向を示しています。

『赤い鳥』の創刊号から数々の童謡を寄稿した北原白秋(1885~1942年)は、与謝野鉄幹・晶子らの雑誌『明星』の同人。詩集『思ひ出』や歌集『桐の花』などの耽美的な作品で知られています。

いずれも、文壇ロマン派の出身で、その立場から「童心」を見出したともいえます。『赤い鳥』は、子どもたちから綴方や自由詩、自由画を募集し、三重吉が綴方の、白秋が自由詩の選にあたりました。『赤い鳥』は、子どもの表現の歴史の上でも大きな役割を果たしたのです。

コラムプロレタリア児童文学戻る

大正末から昭和にかけて勃興したプロレタリア文学から、労働者階級の立場で書かれるプロレタリア児童文学も生まれました。1925(大正14)年に『無産者新聞』に「コドモのせかい」欄が設けられたのにはじまり、1929(昭和4)年には雑誌『戦旗』の付録として『少年戦旗』が創刊されたりして、作品発表の舞台がしつらえられていきました。1931(昭和6)年には、槙本楠郎・川崎大治編のプロレタリア童謡集『小さい同志』が刊行されています。

社会のなかの子どもという主題を発見したところにプロレタリア児童文学の意義がありますが、その主題を展開する文学的な方法を見つけることはできませんでした。今日も読まれている作品はありません。この主題は、戦後、現代児童文学が散文的な文体を手に入れるまで十分に描くことはできなかったのです。

コラム宮沢賢治と新美南吉戻る

宮沢賢治(1896~1933年) の童話集『注文の多い料理店』は、「イーハトヴ童話」と銘打たれています。賢治は、生まれ育った岩手県にかさねて「イーハトヴ」という理想郷を幻視しました。

新美南吉(1913~43年)は、生まれ育った愛知県・半田を舞台として、実在の地名も織り込みながら、多くの童話を書きました。

方法は異なりますが、この早世したふたりの童話は、際立って独自な世界を作っています。賢治の「注文の多い料理店」、「雪渡り」、「やまなし」、「オツベルと象」など、南吉の「ごん狐」、「手袋を買いに」などは、国語教科書や絵本といったメディアによって、現在も子どもたちに読まれています。